【三寸の舌の有らん限り】[18]-高橋是清03-(2138文字)
日露戦争開戦の前年である明治36年(1903年)も押し迫った12月29日夜の9時頃のこと。
忘年会に席にでていた高橋是清は、曽禰大蔵大臣から、緊急呼び出しを受けた。
いったい何が起きたのかー。大蔵大臣邸に駆け付けた高橋是清を出迎えた曽禰大蔵大臣が、言った。
「政府は先ごろロンドンで二隻の軍艦を買い入れることを決定し、英国駐在の林公使に連絡した。
林公使は直ちに相手方と契約を取り結んだのだが、その代金の支払いに当たって、正金ロンドン支店の手違いで、支払い不能となり、そのため、林公使は窮地に立場に立たされている。
公使からの電報によれば、この二隻の軍艦の支払い金が、もし調達できねば、契約の解約とともに、公使はロンドンを引き揚げねばならないと言って来ておる。
政府としては、この二隻の軍艦は是非とも買い取りたいので、日本銀行でなんとか、代金を調達できないであろうか」
この当時、軍艦は発注してから完成するまで、3年以上の期間を要する。
今、大蔵大臣が言った2隻の軍艦は、もともと日本が注文したものではない。アルゼンチンの海軍が発注したものであった。
アルゼンチンとチリの両国は国境紛争により緊張関係にあり、そのため、アルゼンチンもチリも有事に備え、軍艦を発注していたのだった。
しかし、英国の仲介によって、アルゼンチンとチリの和平合意が成立し、両国が発注した軍艦は、不要となってしまった。
この不要となったアルゼンチンとチリの戦艦を手に入れようとしたのがロシアであった。
チリが発注し、英国で建造中であった軍艦2隻について、日本が資金力の問題で購入できず断念したため、英国が自ら購入し、ロシアの手に渡るのを防いだ。
アルゼンチンが発注した軍艦2隻(高性能装甲巡洋艦)は、イタリアのアンサルド社が手がけ、すでに完成間際であった。
ロシアは、アルゼンチンの軍艦2隻にも、購入の意欲を示した。
英国公使からの助言を受けた外務大臣小村寿太郎は、アルゼンチンから軍艦2隻の購入を決断し、購入契約を取り結ぶよう、12月20日に英国駐在の林公使に訓電した。
軍艦購入の支払いは正貨(英国ポンドまたはゴールド)であることが、条件であった。
そのため、林公使は購入契約を結ぶ前に、『支払総額150万ポンドで購入契約締結時に手付金として支払総額の1割にあたる15万ポンドを支払う』という骨子の契約書を、横浜正金銀行ロンドン支店長の山川勇木に見せ、購入のための正貨が横浜正金銀行ロンドン支店にあることを確認した上で、購入契約を結んだのだった。
こうして、アルゼンチンから購入した2隻の軍艦は、『春日』・『日進』と改名されて、イタリアから日本へと移送されることになった。
その移送責任者2名のうちのひとりは、鈴木貫太郎中佐だった。
鈴木貫太郎、後の太平洋戦争終結時の内閣総理大臣である。
ここまでは、問題なかった。問題が発覚したのはその後であった。
いざアルゼンチンに軍艦2隻の購入代金を支払う段で、横浜正金銀行ロンドン支店長の山川勇木は、『自分は手付金の15万ポンドだけと思って、ロンドン支店に正貨があると返答した。購入総額の150万ポンドという大金がロンドン支店にあろうはずがない』と言ったために、大騒ぎとなったのであった。
日本から残りの代金をゴールドで送るにしても、時間がかかる。
しかし、購入契約は結ばれており、代金の支払いをしなくてはならなかった。
であればー。
事の一部始終を聞いた高橋是清は、対応案を出した。
「林公使に日本公使の資格において、約束手形を振り出し、アルゼンチンに待っていただくほかありません。もしアルゼンチンが担保を要求した場合は、日本銀行が所有しているポンド建て日本国債200万ポンドをそれに充てましょう」
案はその場で採用され、ただちにロンドンの林公使、横浜正金銀行ロンドン支店に訓電された。
アルゼンチンは、担保を要求することなく、残りの代金が日本から贈られてくるのを待つことで了承してくれたのだった。
(続く)
■引用・参考資料■
●「金子堅太郎: 槍を立てて登城する人物になる」 著:松村 正義
●「日露戦争と金子堅太郎 広報外交の研究」 著:松村 正義
●「日露戦争・日米外交秘録」 著:金子 堅太郎
●「日露戦争 起源と開戦 下」 著:和田 春樹
●「日清・日露戦争における政策と戦略」 著:平野龍二
●「世界史の中の日露戦争」 著:山田 朗
●「新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説」 著:長南 政義
●「児玉源太郎」 著:長南 政義
●「小村寿太郎とその時代」 著:岡崎 久彦
●「高橋是清自伝(下)」 著:高橋 是清
●「日露戦争、資金調達の戦い」 著:板谷敏彦
●「明石工作: 謀略の日露戦争」 著:稲葉 千晴
●「ベルツの日記」 編:トク・ベルツ