本当の目標に目を向けない教員は要らない
教員は何かにつけて子どもに目標を立てさせる。
立てさせるだけならいいが、それを書いて提出させたり、発表させたりする。
更に最悪なのは、あまりにも怠惰な姿勢を見せたときに、その目標を持ち出してきて説教することだ。
発表できる目標など表向きの目標である。
そんなことも分からずに
「君は、〇〇したいんだろ!?」
「そんなことでは〇〇できる人にはなれないよ!」
などと叱咤する。
表向きに立てる目標は、あくまで表向きの目標であり、本当の目標でないことの方が多い。
それはそうである。
まさか、今年の目標を書きなさいと言われて、
『今年はなるべく、勉強をサボって、たくさん寝て、ゲームをたくさんしたいです』
などと書く者は少ない。
なぜなら、こんなことをわざわざ発表する者は、この取り組みをバカにしているか、かまって欲しいとしか捉えられないからだ。
だから、子どもは小学校から事あるごとに表向きの目標を立てる技能を身に付けるようになる。
しかしそのせいで、本人ですら表向きの目標が本当の目標でないと気づけなくなってしまった。
大人になってから、目標を立てても中々達成できないのは、その目標が本当の目標ではないからだ。
ダイエットをして痩せて、もっと魅力的な見た目になりたいという目標は、発表しやすい表向きの目標の中でも最も代表的であろう。
しかし、多くの者が達成できずに終わる。
それはその目標が本当の目標ではないからだ。
もしかすると、そのような者の本当の目標は、
『今のままでも自分が魅力的であると誰かに認めてもらいたい。』
『自分らしさを大切にしたい。』
ということかもしれない。
このように、他人の目標を知ろうとする教員は、その目標がただの表向きの目標か、本当の目標かは見定めなければならない。
他人の目標を問う以上は、その責任があると言ってもいい。
『私の今年の目標は、勉強をたくさん頑張って〇〇中学の入学試験に合格することです!』
こんな目標を立てて、毎日放課後は夜まで塾通いする子どもがよくいる。
そして、この目標を本当の目標だと思い込んでいる本人は、今まで頑張っていた習い事もやめ、友達と公園で遊ぶ時間もなくし、家に帰ってからも塾と学校の宿題に追われることを全て受け入れる。
しかし、目標の達成に近づくために日々努力しているはずが、幸せそうな者は少ない。
きっと、この者達の本当の目標は、
親を喜ばせたいとか、周りから認められたいとかなのだろう。
だから、教員はそれに気付き、勉強云々などか関係ないところで、その者を認めてあげれば良いのである。
もっと子どもの本当の目標に目を向け、子ども自身にも本当の目標に気付かせなければならないのだ。