自分のあり方に痛みを感ずるときに、人の痛みに心が開かれる【今日の言葉】
自分のあり方に痛みを感ずるときに
人の痛みに心が開かれる
真宗教団連合『法語カレンダー』より
真宗大谷派 宮城顗(みやぎしずか)師の言葉
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我々、自分が元気な時やある程度思い通りになっているような時には、自分のあり方を考えることは少ないものです。
自分が体調を崩した時、思い通りにならない時、うまくいっていない時などに、考えさせられることがあります。
苦しみや悩みによって、色々なことに気付かされるものです。
脳梗塞になられ、半身が上手く動かせなくなった方とお話をしていた時のことです。
その方は、脳梗塞になってからの苦しみをこのように言葉にされました。
「歩こうとする時に、頭の中では足が前に出ているのです。でも実際には足が出ていなくて、転んでしまうこともしばしばです。これまで当たり前に歩いていたことができない。これはつらいですね。情けないです。そして、悔しいです。毎年京都まで旅行に行くことが楽しみでした。脳梗塞になってからは、それも難しくなった。とても悔しいです」
そうおっしゃっていました。
そうした苦しみの思いと共に、気付かされたことについてもお話されました。
「身体が動かなくなって、色々なことに気付かされるようになりました。歩けるということが、どれだけ嬉しいことだったのか。当たり前に歩いていた時には、思いもしませんでした」
「そして、父が脳梗塞になった時も、このような状態だったのかということも、何十年たって初めて気付きました。その時の父の苦しみを、私はよく理解できていなかったことに、気付かされました。そんな父に、私は心ない言葉もかけたと思いますし、父の苦しみを理解しようともしていなかったと思います。同じような悩みを経験しないと、人の苦しみは分かりませんね。本当に恥ずかしい限りです」
その方は、自分が思い通りにならない経験を通して、父のはがゆさ、悔しさ、苦しさなどの痛みが、初めて本当に理解されたのでしょう。
そして、苦しみの中にある父の前を素通りしてきた自分のあり方に、疑問や痛みを感じたのでしょう。
自分のあり方に痛みを感じるときに、初めて人の痛みが理解される。
自分のあり方に痛みを感じるような時でなければ、中々人の痛みは分からないということが我々にはあります。
自分が元気な時や、ある程度思い通りになっているような時には、人が苦悩の中にあることへの理解ができません。
苦悩の中にある方に対して、「なんでこんなことで悩んでいるんだ」「こんなこともできないのか」「努力していないからだろう」と思ったり、口にしてしまうこともあります。
その共感のない態度に、苦悩の方はさらに苦悩します。
「ああ、この人に言っても分からない」
我々は、悩む立場になることもあるし、また悩んでいる方に心ない言葉をかける立場になることもあります。
その両面性を我々はもっています。
人の痛みが理解できない時は、私が至らないのではないか?
そうした謙虚な姿勢と、相手の思いを聞く姿勢の大切さを思わされ、そうできていない自分自身をまた改めて教えていただきました。
今回は、真宗教団連合から発行されている『法語カレンダー』の言葉から感じることをお話させていただきました。
9月の言葉は、真宗大谷派の宮城顗(みやぎしずか)先生のお言葉でした。
最後までご覧いただきありがとうございます。
合掌
福岡県糟屋郡宇美町 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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