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“最上位目標”はなんだ

「工藤勇一」「工藤校長」と聞いてピンとくる人はどれぐらい居るだろうか。
『学校の「当たり前」をやめた。』等の著者、麹町中学校の元校長、横浜創英中学・高校の現校長と言えば分かる人も増えるだろう。
ちなみに、工藤校長の著書『学校の「当たり前」をやめた。』はグロービス経営大学院とflierが共催した「読者が選ぶビジネス書グランプリ2020」でマネジメント部門第1位を獲った「手段の目的化」について書かれた“ビジネス書”である。

実は私、とある ありがたい御縁で昨年(2019年)の10月に工藤校長ご本人と直接お会いし、お話をうかがう会をいただいた。しかも1時間半もの長い時間。さらに工藤校長おひとりに対してこちら側はふたりという非現実的なシチュエーション。
当時、カンブリア宮殿をはじめとした様々なメディアにご出演されていたため、アポを取ること自体が不可能という状況での出来事だった。

この工藤校長との対談と著作の中でもっとも印象なメッセージは「最上位目標はなんだ」「最上位目標を決めよ」というものだ。「いちばんの目的は?」という問に言い換えることもできる。今日はこれについて書いていきたい。

体育祭と文化祭それぞれの最上位目標

工藤校長が「最上位目標」を設定する重要性を説明するために例に挙げられるのは「体育祭と文化祭」についてだ。

麹町中学校が学校行事である体育祭・文化祭を開催する際、学校側は各行事の最上位目標だけを生徒たちに与える。生徒たちの代表である実行委員たちはこの最上位目標をもとに各“祭”の中身を決めていく。

体育祭の最上位目標は「全校生徒が楽しめること」だ。
この最上位目標を叶えるために、生徒たちは種目やタイムスケジュールといった「手段」を試行錯誤しながら決めていく。

この最上位目標の中にターゲットが入っていることがキモだと私は思う。ターゲットがどういう状況になってもらうことを目指すのかを端的に示した最上位目標ほど“良質”である可能性は高い。

体育祭の最上位目標を「全校生徒が楽しめること」とした場合、体育祭にどのような変化が起きるのか。
それは当然、「種目」である。一般的な体育祭はやはり運動能力が高い子や運動が好きな子ほど楽しめる行事だろう。しかしそれでは、足の遅い子や運動能力が低い子、さらには身体障害を持った子が楽しめる行事になりにくい。つまり最上位目標を達成できないわけだ。
そうなると、自ずと競技自体を見直そうということになる。「どうすれば全員が楽しめるのか」「どんな種目や競技ルールなら楽しみながら運動で競うことができるのか」
中学生たちが大人を巻き込みながら考え続けて形にしていく。

そうしたプロセスを経て創り上げられる“祭”は、やはりただの体育祭ではない。おのずと全校生徒だけでなく、保護者や地域の人々が楽しめる祭になっていく。

いっぽうで、文化祭はどうか。
文化祭の最上位目標は「来場したお客様が楽しめること」に設定されている。
工藤校長の言葉をお借りすると「体育祭よりも遥かにレベルが高い目標」だという。
これはこのnoteの読書の方々に説明するまでも無いかもしれない。文化祭でどんなサービスを提供すれば来場者が喜んでくれるのかを考えて学校全体で実行することは、社会人でありビジネスマンであり価値提供者である我々オトナと同じレベルの目標を設定されているからだ。ターゲットは「自分たち以外の人たち」なのだから。


仕事や日常生活のあらゆる場面で「最上位目標思考」は重要

この対談(というかインタビュー)を経て、自分自身の仕事や日常生活の中で起こる事に対する向き合い方やアプローチの方法が明らかに変わった。
様々な問題の解決を考えるときに「最上位目標」をまず意識するだけでも全然違う。
そういう視点で世の中を見てみると、手段が目的化している事象が何と多いことか。
もちろん自分もまだまだまだまだそうなりがちな場面や瞬間は多いが、ありとあらゆるシチュエーションでの問題発見や課題解決において、コンパス的な働きをしてくれる思考法であることは間違いない。


しかし、めっちゃ書いたな今日。

この“毎日note”がどんな「最上位目標」達成のための手段であるかを書こうと思うのだが、それはまた別の話。

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