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憂鬱な平日を迎える前の日曜日の夜に

激務で苦しんでいる人間ではないのに苦しむのはおかしい。誰にも助けを求めないのに苦しむのはおかしい。…正常バイアス、津軽でんでんこ等の東北に伝わる同種の言い伝え。その言葉の意味を改めて考えた週末。

最近、仕事のことが過ると動悸が…仕事をしていても気分が胃からこみ上げるものが…鬱なんだろうか。仕事に行くのは誰もが憂鬱なものなんだろうけれど…と考えてしまうことが正常バイアスそのものなのか。

振り返ってみれば「あの時期は鬱状態だった」という時があった。時間の経過が解決したけれど…根本的な問題は残り続けていた。あの時の状態を考えれば…まだ大丈夫と思うことこそ正常バイアスか。

「切り替えができない」ことは減ったのは年の功と「あの時期は鬱状態だった」と思える時期の経験があったからこそ。何から何まで自力で…「何のために今の場所にいるんだろう」そんなことを考えてしまう。

会話がない場合、話すときにピリピリした感じになりませんか?「どうしていいのかわからないこと」への回答ってピリピリした感じになりませんか?何がわからないかわからない状態で聞いていることに対しての反応ってピリピリした感じになりませんか?

ずっとそんな状態。それは私が可愛げのない人間で、私が率先して話をしていかないことが悪い。そう、全ては私の責任…だとは思わない。そこまで自分自身を追い詰めたくない。だから、手を変え品を変え相手の反応を探っても…ずっとそんな状態。

…私だけの責任なんだろうか。こんな人間相手に何でここまで苦しまなければならないんだろうか。「聞き方が悪い」「伝え方が悪い」「タイミングが悪い」…じゃあ、おのずと話さなくもなるし、面倒くさいから「やってしまう」ことが増えるのも必然。

それじゃダメじゃん。

そう思うからこそ、わからないことがあるからこそ「聞く」「確認」するのに、はっきりしない要領を得ない機嫌を悪くされる。だから、「まとめ」て聞かざるを得ない。0から10まで。そのお陰で「生きる糧」は得られたけれど。

そんなことをしてきてしまった。はっきりとさせてこなかった。「当たり前にしてはいけないことを、当たり前にしてしまった」だから、いつまでたってもずっとピリピリした状態であり続けてしまったのだろう。

そう、だから、やっぱり、私が悪いんだ。何もかも。

…鬱なのかな、やっぱり。

薬には頼りたくないので心理カウンセラー・心療内科に行こうと思っていた矢先に、身体の具合がよろしくなくて病院で再検査。「自分なりに前に進もう」そう思っていたのに…とはいいわけなんだろうか。ダメかね、言い訳を言っちゃ。

「惑わず」を少し過ぎてもこんな状態。独り身で古戸伯父状態。これまでの人生の結果がこれ。生き方や働き方も変えたい。その気持ちに嘘はないけれど、「今の仕事」のことを考えると、それができるとは思えない。本当に憂鬱でしかない。

そんな状態にいる人間が、前に進めるんだろうか?

そんな人間を相手にしてくれる人っているんだろうか?

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