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向き合うべきか、向き合わざるべきか

「40にして惑わず」とは、年齢を重ね多かれ少なかれ人生経験を積んでいくうちに「人間の実態」を見つめる視点を持つようになり「人間なんてそんなもんだ」と言えるようになり、「自分で自分の身を守る、自分で自分の人生を進んでいこうとする」ことを意味しているような気がする。これまでの人生が「惑い続けている」ものだったからまだ「惑い続けている」日々だけれど、なんとなく「40にして惑わず」を実践できているんじゃないかって思う今日この頃。 「人が環境に与える影響は大きく、環境が人に与える影響

    • 民意が正しいとは限らないと思う。

      • 選択肢を持つために必要なことは

        転職活動は、10月中旬時点で最終選考まで進んだ企業が2社。応募者多数の為、結果を出すのに時間がかかるとのことだったので、結果が出るまで転職活動は一度休止することにした。それだけ思い入れのある2社であり、合格が出ればお世話になるつもりでいたからだ。11月に入ってから1社から結果が出た。不合格の連絡。かなり悔しかった。これまで以上に悔しい感情が生まれていて、「思い入れがあり、お世話になりたいと思った感情に嘘はなかったんだ」と思った。最後の最後まで内定対象者として残っていたようだ。

        • 転職に踏み切ることにした。

          10月も終わりに近づいてきた。転職活動は順調に進み最終選考結果待ち状態。ここで決まれば、転職に踏み切ることにした、もし、決まらなければ仕切り直しで再スタートする。昨年も同じような時期から結果が出始めていたけれど、踏ん切りがつかず転職に踏み切ることができなかったのは、まだまだ覚悟が足りていなかっただけではなく、自分を取り巻く環境(現状)にまだどこか期待をしていたからだと思う。でも、もう覚悟は決め、自分を取り巻く環境への期待は消えてなくなった。現状のあまりにも酷い状況を考えると「

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        向き合うべきか、向き合わざるべきか

          普段着、仕事着を少しづつ変えていく インプットだけで終わらない 「1人じゃないけど1人なの」の精神で 驕らず昂らず謙虚に寛容に でも、言うべきことは言う 少しでも後悔のないように 残した後悔を少しでも無くすように 前を見て、上を向いて歩こう

          普段着、仕事着を少しづつ変えていく インプットだけで終わらない 「1人じゃないけど1人なの」の精神で 驕らず昂らず謙虚に寛容に でも、言うべきことは言う 少しでも後悔のないように 残した後悔を少しでも無くすように 前を見て、上を向いて歩こう

          ストレスを軽減させたい、自分の意思と責任を持って仕事をしたい、そうした環境で自由に仕事をしたい、その結果としてスキルとキャリアをアップしたい、人との繋がりを持てるようになりたい、好きなことを好きって言えるようになりたい それが実現できる環境か…転職で実現したいこと。

          ストレスを軽減させたい、自分の意思と責任を持って仕事をしたい、そうした環境で自由に仕事をしたい、その結果としてスキルとキャリアをアップしたい、人との繋がりを持てるようになりたい、好きなことを好きって言えるようになりたい それが実現できる環境か…転職で実現したいこと。

          自分一人の力だけでは

          世間は3連休らしい。3連休とて特別な何かがあるわけでもなく、いつもと変わらぬ日々を過ごす。それが自分にとっての「当たり前」になってしまっているからだ。「変わりたいと思っているのではないのか」「それじゃダメだと思っているのではないのか」と言われるだろう。そりゃ、こんな何にも変わらない、特別な何かをしているわけでもない時間を過ごし続けることが自分自身の為になっているとは全く思っていないし、それを変えていきたいと思ってはいる。「頭ではわかっていても、行動に移せないこと」は誰にでもあ

          自分一人の力だけでは

          止まることは、できない

          お仕事に対する感情は「心ここにあらず」状態。それでも職掌職務職責を課せられているから自分の義務は義務として果たすために(お賃金も貰っていますし)、お仕事に励まなければなりませんが。それでも気持ちが離れてしまっているのが本音。これまでも離れていなかったと問われればそんなことはないけれど、それでもまだ踏み止まって何とかしていきたいよりよくしていきたいと思っていた。その感情は今でもあるけれど、今までのそれとは完全に違っていて「心ここにあらず」で「どうでもいいや」というものが入り込ん

          止まることは、できない

          自分が目指す(変わりたい)姿

          「どう変わりたいのか」を考えてみた。「何を変えたいのか」によってはただ逃げているだけで、現実逃避と問われても致し方がないから。そんな発言に対して反論する為に。理屈の通った考えであっても「言う奴は言う」ので考え始めたらきりがないけれど。今更劇的に人生が変わるはずもないことはわかっている。それでも「何か」を変えたいと思った自分の本音に向き合いたいと思う。 「変化のない人生は幸せだったと思う」こともあるのかもしれない。けれど、それがその人にとって本当に有意義なものであった場合に

          自分が目指す(変わりたい)姿

          変わりたくないのか、変わりたいのか

          10月も4日が過ぎようとしている。「10月になったら毎日noteを更新しよう」と考えていたけれど、考えていただけでもう4日も過ぎてしまった。ある意味、三日坊主かもしれない。いや、そんなことはさておき、「毎日更新しても同じようなことしか書かないだろうから」というのが先に立ってしまってアウトプット(自分にとっては、文章を書くこと・まとめることを指す)できなかったのが本音の1つ。もう1つは普段の生活が何の変化もなくむしろ嫌な変化に巻き込まれている日常が続きすぎたことによる…ほら、や

          変わりたくないのか、変わりたいのか

          相手の名前を呼ぶことができない人

          「誰かと話をしたい(話をする)際に、下の名前やあだ名で呼ぶ」とか「誰かと親しくなりたいがためになにがしかの行動をとる」とか「誰かと一緒に旅行に行く」とか…人との繋がりを持つための行為そのものに対しての経験値が圧倒的に少ないいやほとんどないまま年齢を重ねていき、現在にまで至ってしまっている。ネット上ですら「下の名前やあだ名」で呼ぶことに抵抗感がある始末。これだから、いつまでたっても「明確な自己肯定感」を持てないままでいるのだと思う。   生まれ育った環境が全ての原因とは言わない

          相手の名前を呼ぶことができない人

          年内に内定が出て満足のいく企業なら転職しよう。もうこれ以上ズルズルと引っ張っられて毎日を過ごしているようじゃ駄目だ。さすがにもう我慢も限界。それはそれとして自分の道を進んで行かなきゃ駄目だ。

          年内に内定が出て満足のいく企業なら転職しよう。もうこれ以上ズルズルと引っ張っられて毎日を過ごしているようじゃ駄目だ。さすがにもう我慢も限界。それはそれとして自分の道を進んで行かなきゃ駄目だ。

          「どこで誰と何をするのか」 「環境が人に与える影響の大きさ」 誰もがどこかで感じていることだと思う。けれど、表だって共感されることは少ない。だからこそ、無意識のうちに協力し合っているのだと思う。 でも、それができない人達もいる。 うんざりだ、そんな人達と一緒にいることに。

          「どこで誰と何をするのか」 「環境が人に与える影響の大きさ」 誰もがどこかで感じていることだと思う。けれど、表だって共感されることは少ない。だからこそ、無意識のうちに協力し合っているのだと思う。 でも、それができない人達もいる。 うんざりだ、そんな人達と一緒にいることに。

          右から左に受け流された側の主張

          「どこで誰と何をするのか」によって人の人生は大きく変わってくることを痛感する日々。それは「環境が人の与える影響が大きい」ということの証左でもあり、自分の考え方は間違っていなかったことを実感する。けれど、この考え方が「大多数」の見解になることはないだろう。自分の中で何となく感じていることであったとしても、こうした発言をしてしまえば「他責的な人間」との烙印を押されるからだ。たとえ「そんな意味を持って発言していなかった」としても。「人生経験」として「人間なんてそんなもんじゃね?だか

          右から左に受け流された側の主張

          足りない、経験が

          「人間として」経験が足りていないことと言えば、「人の下の名前を呼ぶこと」と「好きな人に好きって言う」こと。そして、「人と繋がりを持つための行動→誘って遊ぶこと…」も足りていない。いや、足りていないというよりもほぼ無い状態。幼少期のまま止まってしまっているかもしれないと感じている。だから、私はいまだに年齢不相応な人生を継続中なのだろう。仕事に就き、社会との接点を持ってはいるけれども。 「社会との接点を持っている」だけで凄いことでそれだけで十分だと言われるかもしれない。けれど、

          足りない、経験が

          人生は取り戻せるのか

          「時間を戻すことが出来るのなら時間を戻したい」とそんなことばかり考えているのは、先祖返りするかのように(漫画を読み始めたのは、藤子不二雄作品から始まった)ドラえもんにはまっているのだろうか。それとも若い世代のまぶしい姿や仲睦まじいやりとり(今になって坂道グループ、とくに日向坂46にはまっています)を見ているからだろうか。はたまた現実で閉塞感を感じているからだろうか。いずれにせよ、時間を戻すことができないし、世代や環境に原因を求めても建設的ではないから、理不尽なものがそこになる

          人生は取り戻せるのか