テルミン博士のお誕生日に際し、電子楽器テルミンの昨日、今日、明日について考察する

 私とテルミンとの関わりは、テルミン演奏を習うためロシアに渡った1993年に始まる。
 テルミンの楽器に触れずに奏でる演奏法に関心があった。手が1mm動いたなら、1mm分だけ音の高さが変わる敏感な演奏特性が、最新技術でなく、古典的な電子発振の応用によりもたらされている点に興味を持った。ありふれていた電子発振方式「ヘテロダイン」から、世界初の電子楽器を創り出し、おまけに触れずに奏でる演奏法だとは、非凡な着想と鮮やかな手法にテルミン博士の天才を見た。また、弾く人が違えば動作が違い「天使の歌声」にも「お化けが登場する時の音」にもしてしまう身体性の高さを備えており、残酷なほど正直に、弾く人の技量も音楽性も音に表してしまう。現代においてさえ、テルミンほど人間を「感じる」電子楽器もない。

 2016年のコンサート出演中に、私は脳出血を患い、後遺症として右半身に麻痺が残った。「脳の再編」の可能性を説かれる中澤公孝先生(東京大学)の研究室を訪ね、人体実験にも参加した。通常、左手を動かす場合、交差した右側の脳の部位が活性化するが、私の脳をMRI撮影したところ、パラリンピアンなどにみられる同側(どうそく)の脳部位が活性化していることが分かった。脳にダメージを負いながらもテルミン演奏を諦めようとしない私に、身体の使い方を工夫させ、私の脳にも再編のスイッチを入れたのかもしれない。

 30年間テルミン演奏に取り組んでいるが、弾けば精神集中するので自然と表情は険しくなり、知恵熱が出そうなほどだ。この実感があったからこそ、認知症予防にマトリョミン演奏を活用する着想に繋がった。演奏中は脳内の血流が増していると考えているが、浜松医科大学の医師らとの共同研究で効果の実証実験にも取り組む。

 テルミン博士もテルミンも、革命や戦争、冷戦といった時代の荒波に翻弄された。テルミン博士は、軍事、保安、諜報といった分野の研究開発にも携わった。テルミンの発明は博士を時代の寵児にもしたが、長年秘密収容所での暮らしを強いられた。

 これまで接点のなかった医療や隣接する分野において、テルミンの演奏特性を活用する取り組みが始まっている。脳卒中リハビリや認知症予防にマトリョミン演奏を活用しようとするもので、音楽の力で脳を活性化し、健康寿命を延ばすことに繋げようとしている。テルミン博士の発明は、これまでと違った形で実を結ぶことになるのかもしれない。
 テルミン博士の発明はこれから先も私たちを驚きやワクワクで魅了し、新たな景色を見せてくれるのだろう。

2023.8.28 竹内正実


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