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私の「目」は、よく見える。【iPadを買って初めてのnote】

突然ですが、少し前にiPad Airを買いました。

5年くらいMacBook Airを使っていたのですが、使い勝手は正直こっちの方がいいです。あと何よりMagic Keyboardの打感がいい。心を軽やかにしてくれる。

せっかく買ったiPadで書くnoteの一発目は心が躍るような内容がいいな〜なんて思っていたのですが、疲れているのか重苦しい内容しか思いつかず、結局今になってしまいました。

心が躍ることといえば、昨日noteフェスサポラジオのアフタートークの収録がありました。公開も早速されているようですね。よかったら聞いてみてください。

フェスサポラジオに出て、noteフェスの4日間を思い出した。

ひとつのことに対して、自信を持って行動できて、自然と力が漲ってくるあの感じ。どこから湧いてくるのかわからないあの高揚感。「いろんな人がいる」ということを心から楽しめた。終わった後の燃え尽き具合。

…あれ以来、何かを力入れてやったことってあったっけ?何かにわくわくしたっけ?

思い返してみれば、歳をとるごとに「没入」することが少なくなった。

何かを一直線に信じ、一日中そのことを考え、周囲が自分をどう見ているかなんて気にならないくらい。

「目」を持ってしまったからだろうか。

私は自分のことを割と思慮深い方だと思っている。人は、それを時に気にしすぎだと宥めてくる。

そして自分には割と厳しい方だとも思っている。人は、それを時に完璧主義だと揶揄する。

そういう性格だから、自分の外にあるものに対してもしっかりと目を向けてしまうわけです。そしてそこに自分の想像や期待との乖離があると、心の距離が遠ざかってしまう。

そうやって近づこうとしたところから引き返すことは誰でもあると思うが、最近その「よし、引き返そう」と思うタイミングがかなり早くなったと感じる。

やはりそれは、「目」を持ってしまったからだろうか。

色んなことを知って色んなことが考えられるようになると、見える世界が変わってくる。ぼんやりとしか見えていなかったものがだんだんはっきりと見えてくるようになる。自分が受け取る情報の解像度が上がる。

私の場合はもともと色々なことに敏感なこともあるせいか、どうしても「違和感」の正体が鮮明になってしまう。それがだんだん嫌悪感まではいかないものの「なんかちょっとな…」と思うことに繋がっていってしまうらしい。

解像度が上がることは、視野が狭くなっていることなのか。よく見える目を持ったことは、自分の首を絞めているのか。

かといって、決して周りで起きていることに気づかず鈍感でいる人間にはなりたいとは思わない。

センサーの反応具合は愛すべきものなのかもしれないな。付き合い方を考えていきたいものです。

…あれ、結局わくわくより考え込む文章になってる!?

もうここまで来ると、私はそういう人間なのかもしれないと思うほかない。

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