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柳田国男と忘れられた民俗学研究者・出口米吉の当時の評価―雑誌『土の香』を紹介する
先日、以下の記事でも紹介したように雑誌『土の香』という民俗学関連の雑誌を購入したが、十分に整理ができていなかったので少しずつ整理を行っている。この雑誌を確認していると、構成で柳田国男と拙noteでも何度か取り上げている出口米吉の当時の評価が分かるような点があったので紹介したい。
以下の写真は、『土の香』第4巻2号(通巻20号)の表紙であるが、この号に柳田は「阿也都土考」という文章を投稿している。この号は柳田が投稿したために、他の号よりも印刷にお金をかけているようにみえる。奥付を確認すると、印刷が奈良県の麗日詩社となっている。私の持っている範囲で7巻の途中まで確認したところ、麗日詩社で印刷されたのは第4巻2号のみである。依頼したのはこの号だけとは限らないが、特別にこの会社に依頼したのだろうと思われる。
また、6巻6号には7巻へ改巻するということで、出口米吉、中山太郎、能田太郎、鈴木重光に論文の寄稿を依頼して快諾を得たことを伝えるチラシが挟み込まれていた。貴重なもののようなので、以下に写真で紹介してみたい。
これらの人物は「諸先生」と言及されていることから当時の民俗学(当時は土俗学とも呼ばれていた)関係者の間にも著名であったことが分かる。今では忘れられている出口も当時は著名であったようである。また、鈴木が「諸先生」の中に含まれているのも興味深い。
『土の香』に投稿していた人物の中で「諸先生」と言われていた人物の共通項は気になるところである。この疑問を言い換えると、なぜこれらの人物は「諸先生」と呼ばれていたのだろうか?この情報は当時の民俗学関係者の交流や人間関係を考える手がかりのひとつになると思われる。
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