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久米龍川が主宰をしていた『汎岡山』という雑誌

 先日投稿した以下の記事で雑誌『郷土風景』に関わっており後に主宰となった久米龍川という人物を紹介したが、この人物は『汎岡山』という雑誌で記者をしていたということが分かっている。

『汎岡山』という雑誌は岡山県立図書館にある程度まとまって所蔵されているので気になっていたが、先日の文学フリマで現物を見せていただく機会があった。以下の写真は『汎岡山』第8巻3月号(1933年3月発行)であるが、表紙から主宰が久米であることが分かる。また、この雑誌は月刊で毎月10日に発行されていたようだ。後述する編集後記には、1932年から発行日を毎月1日から10日に変更したとある。

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『汎岡山』がどのような雑誌であったかは、この雑誌の冒頭で以下のように述べられている。

「汎岡山」は、岡山県人の和親輯睦、共栄共存と併せて郷土研究誌であることは、今更ら茲に縷言を要しない。
 其所には党心偏念なく、靄然たる歓談漫語の裡に、我が岡山県人の交詢が自ら行はれると共に我が郷土の智識を得ることが出来る。しかも和やかにして豊かなる、岡山県最高の郷土雑誌たることは、一言する迄もない。
 されば、古き歴史と、輝やしき将来に向つて本誌は▢党の和親輯睦、共存共栄を標語としてまた郷土研究誌として、多くの力を注ぐであらう。多大なるお声援を切望して止まない。
(一部を筆者により現代仮名遣いにあらためた。▢は読み取り不可であった部分)

上記から『汎岡山』は、岡山県出身の人々の交流と岡山県の歴史を研究を行っていた雑誌であったことが分かる。奥付を確認してみると、編集兼発行兼印刷人が谷川要史で発行所が「岡山県人」社であった。谷川は上記で引用した記事で紹介したように『郷土風景』、『岡山県人物縦横』を編集していた。また、岡山県人社は『岡山県人物縦横』の発行元である。谷川はいろいろな雑誌や書籍の発行に関わっていたようである。

 余談だが、『汎岡山』第8巻3月号の編集後記によると、この時期久米は岡山県に一時帰省していたようだ。久米によれば、この号は原稿が間に合うかどうかの瀬戸際であったようだ。久米が多忙であったであろうことは以前の記事でも紹介したが、ここにもその忙しさが感じられる。ただし、本当に多忙であったのかは一考が必要そうである。

(2021/5/19追記)Twitterであたらめて調べてみると、谷川要史と久米龍川は同一人物であろうという情報を発見した。(Twitterで「久米龍川」と検索すると出てくる。)かなり可能性が高いため、『郷土風景』の久米に関する部分を調べてみたい。

(2021/5/26追記)同一人物であることが裏付けられたので別記事で投稿。意外な結果になった。


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