『本のリストの本』の感想
突然だが、「本のリスト」と聞いてイメージするものは人によって異なるだろう。私にとって「本のリスト」とは、学術書や論文の巻末にかかげられている「参考文献のリスト」であったり、「他の人からすすめられた本の欲しい物リスト」であったりする。両者に共通しているのは、多かれ少なかれ「読まなければいけない」という堅苦しい感情が含まれていることだ。そのためか、最近私は「本のリスト」と聞くとつい身構えてしまう。いつからこのように感じるようになったかは分からない。
そのため、『本のリストの本』(創文社, 2020年)を知ったときも固い本なのだろうかという印象を最初に持った。しかしながら、読み進むにつれて私の中でこの本の印象が変わっていった。この本は書名の通り、南陀楼綾繁(なんだろうあやしげ)さん、書物蔵(しょもつぐら)さん、鈴木潤さん、林哲夫さん、正木香子さんが様々な本のリストを紹介している。紹介されている本やリストのほとんどは私が知らないものであり、読んでいて非常におもしろかった。著者の方々に共通しているのは、リストを見たり、作成したり、それを紹介したりするときの「ワクワク感」がこの本を通して伝わってくるところだろう。上述のように、この「ワクワク感」は私が最近忘れていた感覚だった。「本のリスト」に関する営みは本来このようにおもしろいものであるはずだ。
特に私にとっておもしろかったのは、書物蔵さんの執筆された部分だ。私も最近では、昭和前期を中心にほとんど情報が出てこない謎の人物や団体の来歴調査を行っているが、これに転用できそうな情報が勉強になった。例えば、昭和前期に発行された『年鑑』の重要性、「書誌の書誌」、書誌をまとめた同人誌、趣味誌の存在などだ。同人誌に関しては、(今では面影はないが)10年前までは当時好きだったアニメやゲームの同人誌を買い集めるため即売会や同人誌の店によく行っていたが、書誌のようなジャンルにも同人誌があるとはほとんど知らなかった。ここ2,3年文学フリマに顔を出すようになったため、今度訪れる際には意識して見てみたいと思う。
「趣味誌」に関しては、書物蔵さんによると、蒐集趣味についての連絡雑誌を「趣味誌」と呼び、昭和前期まで日本全国でかなり数が発行されてひとつのジャンルとなっていたようだ。林哲夫さんも1950年代に発行されていたガリ版刷りの雑誌に掲載されていた寄贈された雑誌と広告が載せられていた雑誌をリストにして紹介しているが、このような雑誌を通した交流ネットワークが昭和前期には存在したらしい。現在では現物が残っていない雑誌も多いが、まだ見ぬ雑誌がどこかの古書店や即売会場に埋もれているかもしれない。私は古書の蒐集をはじめたばかりであるが、このような雑誌をいつか発見してみたいと思った。私の関心は、柳田国男と同時代に起こってた民俗学や郷土史の研究動向にもあるが、これらの人的なネットワークの検討は雑誌なしでは行えない。『本のリストのリスト』を読むことで、あらためて雑誌の重要性を考えさせられた。
最後に、私もひとつ本のリストを作成してこの文章を終わりにしたい。私には大そうなリストは作成できないので、この文章を書いている前に積まれている本をリスト化してみたい。
『随筆』第2巻 第6号(人文会出版部)
『甲戊漫筆』出口米吉(土俗趣味社)
『年表我国に於ける郷土博物館の発展(稿)』(大日本連合青年団)
『満州を駆け抜けた男 須知善一』市道和豊
『巣鴨自伝』遠藤隆吉
『平野威馬雄二十世紀』平野威馬雄
『日本及日本人』第218号
『人生は四十から』ピットキン
『書物関係雑誌細目集覧一』書誌研究懇話会編
『折衷主義の立場』鶴見俊輔
『思想の科学 総索引 1946~1972年』思想の科学社
『心』第15巻 第10号
『売笑三千年史』中山太郎
『鶴見俊輔著作集2』
『鶴見俊輔ノススメ』木村倫幸
『独学大全』読書猿
『吉本隆明全集9』
『吉本隆明全集19』
かなり雑多ではあるが、ありのままに自分の目の前に積まれている本をリストにしてみた。言い換えると、これらの本は私の積読リストの一部だ。これらの本を読める時を楽しみにして待ちたい。(読む時間があるかどうかが一番問題ではあるが)