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ポーランド首相にして稀代のピアニスト・パデレフスキにも霊感を認められた?謎の男•平澤哲雄

 忘れられた哲学者・平澤哲雄に関して、久しぶりに紹介していきたい。実はこの情報は昨年Twitterでご教示いただいたものであったが、現物を確認してから更新しようと思っていて早1年が経過してしまった。今回紹介したいのは先日以下の記事でも引用した『南方熊楠・平沼大三郎往復書簡(大正十五年)』(南方熊楠資料叢書、2007年)からである。

21 南方熊楠から平沼大三郎へ(大正十五年四月十一日午前二時過)(前略)故平沢氏の未亡人一昨朝書面を寄られ候。此人も不幸にして舅の一家と気が合はず、哲雄氏死去の前後に生れしわずかか満一歳に足らぬ哲郎といふ児をつれ実家に帰りありとのこと、神奈川県葉山高砂海岸に其別荘あり(吉村勢子といふ名)そこに住居の由、実に気の毒なことなり。(後略)
(前略)右の平沢氏は米国にありしとき安値のレストランにてパラレウスキに出あひしことあり。御存知の波瀾(ポーランド)再興のとき第一世大統領となりし人。世界一のピアノ奏者。パ氏平沢の坐せし所へ来り、肩をたたき汝は一種の霊感を人に与ふる人物也、といひしとか。そんなことにかぶれしものか、平沢氏初め小生を此宅へ尋ね来りしとき、其姉聟(宮脇といふ)本県の警察課長にて巡査をして小生を尋ねまはらせしを小生不快にて一面せしのみ話をことはりぬき候。止を得ず大風中に自転車にて和歌山へ上る途中ひつくりかえり怪我せしを少しも怒らず、小生は一種の霊感を人に与る人物也とて又高田屋へたづね来られ候。後来一廉の助勢をしてくるる人なりしに蚤世そうせいして惜い事に候。此人タゴール其他の人々の手筆を集めし帖あり。それに小生の題号を頼まるる故、蟻の遊びすさと書き与へ候。(後略)
(前略)二日前に故平沢哲雄氏の未亡人より来状あり。是れも夫君死後舅家と面白からず。一歳に満ざる嬰児をつれて葉山高砂海岸の実家へ帰りある由。こんなことばかりにて面白からぬ浮世に御座候。(後略)

南方が平澤と深い交流があったらしいことは以下の記事のように度々紹介してきたが、この書簡には南方と平澤の交流のきっかけが述べられている。

興味深いのは平澤とポーランドの首相もつとめたピアニスト・パデレフスキがアメリカで面会した際のエピソードも述べられている点である、この話自体は上記の記事でも紹介しているが、平澤によるとパデレフスキの方から声をかけられたという。パデレフスキや南方も認めた平澤の霊感とはどのようなものであったのだろうか。西田幾多郎は平澤のことを「狂のような人」と表現しており、霊感は別として独特な雰囲気を持っていたと思われる。

 しかしながら、この話は割り引いで捉えるべきであろう。上記で引用した記事でも紹介しているように平澤の話を誇張する性格は同じく話を大きくすることのある南方も認めるところであり、永井荷風からは平澤の性格はあまり信頼されていなかった。そのためこの話も誇張されている可能性もあるだろう。

 もうひとつタゴールと南方が平澤の集めていたらしい有名人のサイン帖で共演しているのがおもしろい。以下の記事で紹介したように平澤はタゴールが2度目に来日した時に通訳をつとめたことが分かっている。

私はこの話を以下の記事ではじめて知った。

 最後に平澤の妻であった吉村せい子は哲雄亡き後平澤家とはうまくいっていなかったことが伺える。哲雄と吉村の出会いや結婚した経緯はどのようなものであったのだろうか。

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