戦後すぐに岡山発行された趣味誌『新天地』について
敗戦直後に多くの小さな雑誌(同人誌)が各地域で発行されたことは串間努さんの発行していた雑誌『旅と趣味』でも度々言及されているが、この潮流の中にあり岡山で発行されていた『新天地』という雑誌をこの時期に発行されていた雑誌の例として紹介したい。以下に書誌情報を記載しておく。
雑誌名:新天地 通刊21号
大きさ 約18.7cm×約12.8cm、洋装、謄写版印刷
印刷納本:昭和22年10月20日
発行:昭和22年10月25日
編集兼発行人:天峰光示
印刷:標世社
発行所:新天地社 岡山県吉備郡総社町井山 振替岡山一七一三四番
頁数:26頁
新天地案内広告欄
南船北馬 米谷麥村
コント 幽霊の接吻 川端長太郎
あたりまえが自慢のたね 凸凹
発表の日 佐々岡南陽
三周年 佐々岡南陽
三周年記念を祝す 佐々岡南陽
愛情 凸凹志津天
追加広告
仲介広告欄
ハガキ回答 ※読者へのアンケートの回答
白いポスト ※読者通信
第三種雑報欄
案内広告
詩
短歌 祝詠 古城敏正
ふるさと 島左夢
秋の朝 旭幸一
あき 旭幸一
森の夕 竹内惇子
芋 川端長太郎
新天地へ寄す 三周年を祝して 竹内惇子
(広告)
金儲宝典 畳洗濯液の作り方 川島たか詩
恋愛小説 夢見る平野 朝霧初夫
コント 指 桂夢索
趣味と道徳 桂鴻人
とんだ二三日 旭幸一
俳句 内島秀堂 竹内幸雄 幸人 川端長太郎
短歌 白岩英志 旭幸一 凸凹 幸人
川柳 伊藤不政 畠左夢 高木夢二郎
みかんの花 川島敬
朧夜 奈良笹白
片恋 百岩英志
新天地に贈る 高玄志
あひびき でこぼこ
後記
私が入手した『新天地』は通巻21号であるが、この号で3周年であるようだ。この情報から逆算すると発行は1945年10月ごろであろうか。雑誌の種類としては、佐々岡南陽「三周年記念を祝す」では「第三周年を迎へ益々内容に其他一切に大飛躍をなしつゝある。月刊趣味卑益誌として、盛大なる進展に向ひつゝある」と述べられており、『新天地』を「趣味裨益誌」としているので「趣味誌」であったといえるだろう。
雑誌の内容としては文藝、趣味関連の記事、広告がメインであるが、川島たか詩「畳洗濯液の作り方」のような実用的な記事もある。広告は同種の雑誌の広告だけでなく商品の販売や交換や「お金儲けの方法を教えます」という怪しげな(?)広告も含まれている。これは物資が不足していた戦後すぐの状況を反映していると思われる。
このように『新天地』は文藝・趣味に関する表現の場という文化的な面と生活に必要もしくは役立つ物資や情報を提供する場という実生活に密着した面の二面性を持っていたことがわかるだろう。道場親信『下丸子文化集団とその時代―一九五〇年代サークル文化運動の光芒』(みすず書房、2016年)では、1950年代前半に全盛期を迎えたサークル詩運動(文藝的な表現運動とも言えるだろう)が社会運動の密接に結びついていたことが論じられているが、戦争直後に発行されていた『新天地』は社会運動ではなく「生活を何とか成り立たせる」という意味で実生活に接していたのだろう。『新天地』と同時期に発行されていた小さな雑誌はこのようなものであったのではないだろうか。
ところで、米谷麥村「南船北馬」にはこの雑誌の当時の立ち位置が分かる興味深い記述がある。この文章に「岡山県には本誌以外に「白鳥」「ゆうとぴあ」の二誌が全国的に発展しつつある」と述べられているので、これらの雑誌と共に『新天地』の読者や投稿者が日本全国にいたことがわかる。このような全国的に発行されていた雑誌も多かったのだろうか。
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