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江戸文化研究者・松川弘太郎の編集していた雑誌『江戸時代語研究』第2号に投稿する歌謡研究家・忍頂寺務

 以下の記事で江戸文化研究者・松川弘太郎が編集していた雑誌『江戸時代語研究』のことを紹介したが、この雑誌の第1巻第2号(1935年4月)が私の手元にあるので紹介していきたい。

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目次は上記の写真のように表紙にも掲載されているが、目次に載せられてない文章もあるので以下にあたらめて引用したい。

吉原六方といとなみ六方 忍頂寺務
花歌留多語彙(其一)
東京俗語考 橘正一
江戸訛の型 松川弘太郎
花歌留多語彙(其二)
廓なまりの語法(一) 松川弘太郎
江戸時代方言資料註解 奴俳諧 松川弘太郎
御叱正欄 潁原退蔵 ※頴原退著と紹介されているが、潁原退蔵のことであろう。
毎号御寄贈御礼

第1号では松川の個人誌であったが、第2号には方言研究者・橘正一、歌謡研究家・忍頂寺務が投稿している。国文学研究者・潁原退蔵は文章を投稿しているわけではないが、第1号の松川の文章のまちがいを指摘したようで、そのまちがいを松川が訂正している。第1号の反響はそれなりにあったのだろう。

 忍頂寺に関しては、国文学資料館で共同研究が行われており、研究結果が国文学資料館のWebページに掲載されている。忍頂寺の旧蔵書は大阪大学附属図書館の忍頂寺文庫、小野文庫として管理されているが、この文庫の中には忍頂寺宛の書簡も所蔵されている。(注1)以下のWebページ内で閲覧できる「小野文庫所蔵忍頂寺務宛書簡目録・解題」内田宗一によれば、松川から忍頂寺に送付された書簡が1通ある。この書簡は昭和2年(1927年)12月7日に送付されたもので、松川の編集していた『江戸往来』4号に忍頂寺の文章を掲載したことを本人に連絡している。松川と忍頂寺は『江戸時代語研究』が発行される以前から交流があったことが分かるだろう。なお、下記のWebページ内の「増補改訂忍頂寺務著述目録」肥田晧三・近衞典子編にも忍頂寺が『江戸時代語研究』第2号に投稿したことが記載されている。

 ところで、忍頂寺宛書簡目録を確認すると、忍頂寺が佐渡の青柳秀雄後藤捷一南木芳太郎、太田陸郎など拙noteでも取り上げるような民俗学・郷土研究関係者も何名かいることが分かる。また、上述したWebページ内の忍頂寺の著述目録によると、忍頂寺は戦後『金曜』という雑誌に投稿しているが、この雑誌は神保町のオタさんが以下の記事で紹介しているように西村貫一が主宰していた雑誌である。

 最後に『江戸時代語研究』第2号の毎号御寄贈御礼の写真を載せておきたい。個人的に気になるのは、田中緑紅が寄贈したという『獏』という雑誌である。この雑誌は知らなかったが、梅林新市が作成した郷土玩具関連雑誌目録には載っていなかったので、郷土玩具関連の雑誌ではないのだろうか。

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(注1)以下のWebページを参照した。



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