頻繁に坂本書店に出入りする澤田四郎作―澤田四郎作の日記(大正15年)を読む①
昨年12月に民俗学研究者・澤田四郎作の日記である大正15年10月から昭和2年4月までの『日誌』が翻刻されウェブ上に公開された。拙noteでも度々澤田の日記に関して紹介しているが、以下の磯部先生のウェブページより過去に翻刻された日記ととも閲覧することができる。公開されたことは知っていたが、多忙もあって読めていなかったので冬休み中に読むことができた。
まず私の目をひいたのは、澤田が大正から昭和にかけて数々の艶本を出版していた坂本書店にこの時期出入りしたり、書簡のやり取りをしたりしていたことである。坂本書店に関しては、拙noteでも以下の記事でも紹介したように、坂本篤が経営していた出版社で本山桂川が企画していた民俗学関連の閑話叢書を出版していた書店でもある。
同じく閑話叢書として出版されている『民俗叢話』谷川磐雄(坂本書店, 1926年)の巻末の刊行予定書目によると、澤田は『性の表徴』という本を出版する予定だったようだ。しかしながら、『澤田四郎作年譜』(注1)によると『無花果』という本が1926年12月に坂本書店から出版されている。閑話叢書の出版中止に関しては、『無花果』の澤田の序文からも分かる。序文は以下のウェブページより閲覧可能だが、この序文によると、閑話叢書が中止となったため「坂本書店主の好意とによりまして、急に世に出す事」になったようである。この出版の経緯の断片が日記からも読み取れる。大正15年11月3日に「朝、神田坂本書店へ閑話叢書の一冊として書いていた性の表徴の原稿を持参す」とあるので、この前に出版することが決まったようである。その後、澤田は頻繁に坂本書店とやり取りをしており、12月7日に校正が完了した。この本は無事に出版されることとなったが、澤田の日記からその経緯が裏付けられるのがおもしろい。
閑話叢書の中止の理由も書いてあればと思っていたが、残念ながら詳細は書いていなかった。企画していた本山に何らかの事情があったと推測されるが、詳細は不明だ。坂本書店以外のこと関しても今回公開された澤田の日記には興味深い点が多かったので別の機会にでも取り上げてみたい。
(注1)澤田四郎作の年譜も以下のウェブページより閲覧可能。
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