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「反動の概念」丸山眞男に関するメモー丸山眞男の保守評価

 『超国家主義の論理と心理 他八篇』丸山眞男(岩波文庫、2015年)に収録されている「反動の概念」(初出は1957年)に丸山眞男が日本の近代史の中での保守の系譜に関する評価を述べている。以下に引用してみたい。

(前略)今日まで保守が自称として通用せず、およそ実際上自由主義でも進歩主義でもなく、むしろ反動への傾斜の大きい政党までが「保守」の名を敬遠して来たという事態とはおそらく関連があり、そこには近代日本の重要な精神史的特質が反映されている。そうして大正末期以後、知的世界にマルクス主義的用語が急速に普及したために(中略)ますます保守反動という一括した使い方と考え方が定着した。日本に保守主義が知的および政治的伝統としてほとんど根付かなかったことが、一方進歩「イズム」の風靡に比して進歩勢力の弱さ、他方保守主義なき「保守」勢力も根強さという逆説を生む一因をなしている。

丸山は日本に保守主義の知的、政治的な伝統がほとんど根付かなかったと評している。丸山によれば、保守は「保存すべき価値の積極的な選択が前提(「積極的な選択」が丸山により強調の印)」となっており、「単に衝動的、感情的なものがある反省にまで高まらぬと出て来ない(「反省」が丸山により強調の印)」という。

 丸山はなぜ上記のような評価をしたのだろうか?理由のひとつは保守の思想が以下の記事で紹介したような衝動的、感情的なレヴェル(実感のレヴェル)から抜けられず、人びとの外に位置する抽象化された思想(理論)に至らなかったということであろうと思われる。丸山は具体的な行動の背後に抽象的な思想があると考えていた(注1)ため、保守の思想も抽象的なものでなければならなかったのだろう。これは丸山が『日本の思想』で指摘したような抽象的な思想や理論を自分の外に持つ、つくることが難しいという近代日本の精神的構造の問題にもつながる。このような構造的な問題があるからこそ抽象的な思想、理論に対する拒否反応が起き、抽象的な理論/具体的な実感の二項対立の図式が際立ってしまう。丸山はこれを「近代日本の重要な精神史的特質」として近代の日本に保守主義の伝統が根付かなかった理由のひとつと考えたのではないだろうか。

 ここで丸山と同時代に活躍した鶴見俊輔の近代日本の保守主義の評価を参考までに紹介したい。『昭和を語る 鶴見俊輔座談』(晶文社、2015年)によれば、近代日本には「国家や政府に懐疑的な保守主義」の伝統が希薄であるという。保守の定義が異なるが、丸山と鶴見は保守主義の伝統が薄いという見方は共通している。以下の記事で紹介した抽象的な原則から政府を批判した陸羯南に対する丸山の高い評価を考慮すると、丸山の述べる保守も鶴見のような「懐疑的な保守主義」であったように思われる。

(注1)以下の記事を参照。





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