澤田四郎作の民俗学関連の関係性から見えるもの―澤田四郎作の日記(大正15年)を読む④
先日より拙noteで度々取り上げている澤田四郎作の日記(大正15年から昭和2年)であるが、そこに登場する民俗学関係者は私が調べた限りでは以下になる。
斎藤昌三(書誌学・本の蒐集)
中道等(民俗学 雑誌『俚俗と民譚』を編集していた。)
森本六爾(考古学)
谷川磐雄(後の大場磐雄 民俗学・考古学)
坪井良平(考古学)
鈴木重光(郷土史・民俗学 拙noteのこの記事でも以前紹介した。)
須知善一(玩具の蒐集)
田中緑紅(郷土史 雑誌『郷土趣味』を編集していた。)
坂本篤(坂本書店の経営者 拙noteのこの記事でも紹介した。)
佐々木喜善(民俗学 『遠野物語』柳田国男の元の話の語り手)
出口米吉(民俗学 拙noteのこの記事でも紹介した。)
柳田国男(民俗学)
早川孝太郎(民俗学)
中山太郎(民俗学)
金田一京助(民俗学・アイヌ文化研究)
岡村千秋(雑誌『郷土研究』を編集していた。)
伊波普猷(民俗学・南島研究)
今和次郎(民俗学・民家の研究・考現学)
有賀喜左衛門(民俗学・社会学)
後藤捷一(染色研究)
梅谷紫翠(玩具の蒐集)
西村眞次(人類学)
渋沢敬三(民俗学・人類学)
石田幹之助(歴史学)
あらためて澤田の民俗学関連の人間関係を整理してみると、①民俗学、考古学の関係者(主に柳田国男、渋沢敬三と関係が深かった人々)、②玩具などの蒐集関係者(趣味人)の主に2パターンの人間関係に分類できるように思われる。(注1)さらに、①は以下のnoteでも述べたように、柳田、渋沢と出会う前に形成された人間関係と柳田、渋沢を媒介として広がった人間関係の2つのパターンに分けることができるだろう。
②に関しては、澤田の昭和9年の『日誌』からも確認できる。(注2)昭和9年の『日誌』によると、澤田は玩具研究で知られている川崎巨泉とも交流があったようだ。民俗学の関係者と玩具などの蒐集家(趣味人)との関係性は、例えば以下のウェブから閲覧できる「田中緑紅と郷土趣味社」伊藤廣之という資料で指摘されているように対立した構図で捉えられることが多い。しかしながら、澤田のように両者を横断する形で人間関係を形成していた人物もいた。
澤田のような民俗学の領域にとどまらない広い人間関係を形成した人物を検討することは、民俗学史の外縁をどこまで拡張するかという非常に難しい問題につながっていくだろう。澤田の『日誌』が書かれた時代には、現在民俗学と呼ばれている領域が必ずしも明確でなかった。この点を考慮すると、澤田のような横断的な交流も民俗学の形成の歴史の一幕として検討してもよいのではないかと私は考える。
(注1)出口米吉など2つのパターンを横断した交流があった人物もいたことには注意が必要。
(注2)以下のウェブページより閲覧可能。この『日誌』に関する発見を紹介した拙noteも参照。
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