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加賀紫水が編集していた幻の民俗雑誌『土の香』とは?

1. はじめに―幻の雑誌?

 本記事では拙noteでも何度か紹介している加賀紫水(治雄)が編集していた雑誌『土の香』に関して、あらためて取り上げていきたい。なぜこのタイミングであらためて紹介するかというと、今回『土の香』をある程度まとまった冊数(約75冊)を入手できたので、今後少しずつ紹介していこうと考えているからである。以下に参考までに写真を掲載しておきたい。この雑誌は、後ほど紹介する復刻、翻刻版の帯にあるように「幻の民俗雑誌」であり、貴重なものである。

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2. 『土の香』に関する先行研究

 まずは『土の香』に関する先行研究を簡単に整理していきたい。『土の香』に関しては、柳田国男が『定本柳田國男集』(筑摩書房, 1970年)に収録されている「土の香の思い出」で言及したり、よく知られている民俗学研究者も投稿したり、民俗学の研究史(注1)でも取り上げられたりしているので、雑誌名は知っている方々もいらっしゃると思われる。

 しかしながら、『土の香』の内容、編集していた加賀紫水、彼の主宰していた土俗趣味社を検討した文章は、私が調べた限りではほとんどない。「愛知県尾張地方郡市町村史に見られる方言記述・研究」(『岐阜大学教育学部研究報告. 人文科学』63巻1号)では、『土の香』やこの雑誌が方言研究をひとつの研究領域としていたことが簡単に紹介されているが、詳細には触れてない。民俗学の研究史という観点でみると、『柳田国男の歴史社会学 続・読書空間の近代』佐藤健二(せりか書房, 2015年)でこれまでの民俗学の研究史の語られ方を検討する際(注2)に、『土の香』がどの民俗学の研究史の論文に取り上げられているかを紹介しているが、雑誌の内容を紹介しているわけではない。『土の香』、加賀紫水の生涯、土俗趣味社を検討した論文は、私が調べた限りでは、『尾西市史 通史編 下巻』(尾西市, 1998年)に収録されている「解説―雑誌「土の香」と加賀治雄」小林弘昌のみであった。

 Web上の情報も少なく私が知る限りでは、断片的であれ『土の香』を紹介しているのは以下の礫川全次のブログと拙noteのみであると思われる。以下に参考のためにいくつか記事を紹介しておきたい。

 『土の香』は冊数が少なく非売品で購読者限定と発行部数が少なかったため、私が知る限りすべての号の目次データも採録されておらず全容がよく分かっていない。書誌情報を調べる際に非常に役立つ「ざっさくプラス」にも部分的にしか収録されていない。また、ウェブで配信されているうわずら文庫様にも目次データや『土の香』に収録されている文章の一部が掲載されている。

 以上のような先行研究の状況から『土の香』はまだまだ検討の余地が残ると私は考えている。なお、『土の香』は翻刻、復刻が進められており、『翻刻版 土の香 第9巻:土俗趣味雑』小島瓔禮編集、小林弘昌監修(樹林舎、人間社、2013年)として出版されている。しかしながら、この巻のみしか出版されておらず、今後継続的に出版されていくかはよく分からない。この本の書影は2021年7月4日の時点でAmazonで確認できるが、帯に「幻の民俗雑誌」とあるように、翻刻、復刻は非常に貴重なのでぜひ継続して欲しい。

3. 『土の香』、加賀紫水、土俗趣味社

 ここからは『尾西市史 通史編 下巻』(尾西市, 1998年)の「解説―雑誌「土の香」と加賀治雄」小林弘昌に基づいて、『土の香』、加賀紫水、土俗趣味社に関して紹介をしていきたい。

 加賀紫水は本名を加賀治雄(以下、紫水と記述)と言い1893年に誕生した。父は警察官で転勤を繰り返していたため、紫水も転居を繰り返していた。小学校を卒業した後、呉服店の店員、尾西織物同業組合検査助手、三条小学校代用教員、一宮電気会社書記と職業を転々として、1928年に西春日井郡師勝小学校訓導時代に土俗趣味社を設立して謄写版刷りの雑誌『土の香』を発行した。戦後は町内会長、役場関係の仕事を勤めていたようである。

 紫水が土俗趣味社を設立して『土の香』を発行した理由は、小学校の勤務時代に綴り方主任をして児童の作品を編集したり、青年団の活動の中で文芸雑誌を作成したりして雑誌編集に関心を持ち、また、趣味であった旅行の際に蒐集していた記念スタンプ、納札、絵はがき、駅弁票などの交換会を開催して幅広い趣味人たちとの交流があったからである。同じく『尾西市史 通史編 下巻』に収録されている「細道を回顧する」加賀紫水(もとの文章は「創立二十周年記念 百人一首」下巻 昭和二十一年十二月二十日)によると、紫水は『土の香』以外に以下の雑誌や本を編集していたようだ。

蘇東 1912年ごろ(4号) 三条青年会機関誌
二葉 1924年ごろ(15号) 小学校綴方発表機関誌
紅潮 1925年ごろ(15号) 一般文芸
真白き花束 1926年(2冊) 一般文芸
国の礎(3巻)

 『土の香』は、加賀の編集によりほぼ毎月発行された。1936年に一度発行が中断したものの戦後早くに復刊している。しかしながら、復刊後わずか2年で終刊になってしまった。加賀は1958年に65歳で没する。

 土俗趣味社は紫水の自宅を事務所としており、最盛期には全国に土俗学(現在の民俗学)研究者や趣味人たち300名以上の会員がいたという。『土の香』は、このあつまりの会誌と言うことができるような雑誌であった。『土の香』の性格が分かるように、小林の論文に引用されている「土俗趣味社清規」を以下に部分的に紹介したい。

土俗趣味社清規
本会は日本郷土の発生したる民俗文化の源流、各方面の現象及推移等の研究、生活記録を蒐集し、機関雑誌「土の香」へ発表します。
「土の香」へ左の原稿を拝受し発表します。
方言に関する研究 祭神祭礼信仰に関する伝説神話
神社仏閣、史蹟、遺蹟に関する調査報告 性に関する信仰伝説其他
冠婚葬祭に関する信仰伝説、奇習其の他 絵馬、名物、玩具に関する伝説来歴其の他
衣食住に関する風俗習慣伝説其の他 淫祠、邪神に関する信仰伝説、其の他
盆踊、豊年踊其の他に関する歌曲方法伝説 随想、随筆、紀行短歌俳句其の他
伝説、口碑、奇習、行事、民謡、迷信、禁厭、其の他写真、スケッチ等郷土資料
「土の香」は毎月発行(当分年七八回)会員に贈呈します。
長編と纏まった論文研究等のご寄稿の場合は別刊「温故志文庫」として別冊発行します。
(中略)
本会は特志御賛助に依り各地に支局を設置し世話掛を嘱託を致します。
(後略)

『土の香』は会員に配布され、現在で言うところの民俗学に近い文章の投稿を募っていたことが分かる。各地域に購読者がおり支局も存在したようだが、詳細は分からない。また、土俗趣味社は『土の香』だけでなく以下の出版物を発行していた。

土の香 1928~1936年 号数:140
土の香(復刻) 1945, 1946年 号数:3
趣味叢書 1930~1936年 25冊(『土の香』の通巻に含む)(注3)
温古志叢書 1947, 1948年 7冊

4. 『土の香』はなぜ幻の雑誌となったのか?

 以上に簡単に『土の香』、紫水、土俗趣味社のことを紹介したが、今では『土の香』、紫水、土俗趣味社は、ほとんど忘れられた存在になっている。もちろん『土の香』の発行部数の少なさや流通範囲の狭さなども忘れられた理由のひとつであろう。

 しかしながら、前褐の小林の論文では、この雑誌が狭い地域研究にとどまらず、専門的な知識を持たない人々も含んだある種の雑学、趣味的知識を積極的に取り上げていたことを指摘しており、それによって『土の香』は民俗学の研究史で顧みられなくなったのではないかと考察している。小林の論文にもあるが、この時代は様々な趣味人が交流しており、その中の蒐集領域のひとつに地域の事物、習俗、文化などの蒐集があった。例えば、拙noteでも度々取り上げている雑誌『郷土風景』もこれらの蒐集趣味の流行を反映していた雑誌と言えるだろう。

この『郷土風景』も私が調べた限りでは、現在ほとんど忘れられた雑誌になっている。その原因のひとつに民俗学の研究史を検討する上で趣味人たちの活動が「(狭い意味で)研究的でない」という理由で排除されてきたという問題あるのではないかということを以下の記事で指摘した。『郷土風景』と『土の香』が忘れられた理由には共通してこのような「既存の民俗学の研究史の構造的な問題」があると考えられる。

 民俗学という領域を開拓した柳田も趣味と研究との境界を非常に意識しており、様々な文章で当時の蒐集趣味と自分の仕事の違いを強調している。(注4)しかしながら、現在民俗学と呼ばれている領域は成立期には、その境界はあいまいなものであった。民俗学の成立以前にも地域の事物、習俗、文化などを蒐集していた人々のネットワークは存在しており、それを前提にして民俗学が成立したと言うこともできるだろう。そのため、拙noteでも何度か述べているが、趣味人の活動も含めて広い意味で民俗学の研究史を再検討した方がよいと私は考えている。

 このような意味で『土の香』は昭和前期の研究者や趣味人のネットワークを検討する上で貴重な資料になりそうである。上記でも述べているように、民俗学は研究者と趣味人のネットワークの上に成立したものであり、研究者と趣味人の間には現在において想像されるような明確な境界は必ずしもなかったと思われる。もっとも柳田のように明確に意識していた人物もいたと思われるが、その意識の強さも研究者と趣味人の境界があいまいであったことの裏返しであるとも言えるだろう。以下の記事でも紹介しているように、研究者や趣味人の間を横断して交流していた澤田四郎作のような人物もおり、様々な関心に基づく交流やネットワークが重層的に重なっており、ひとりの人物が様々なネットワークに参加していたという状況が民俗学の成立期にはあったと言える。『土の香』は、研究者と趣味人の「結節点」になっていたと言えることができ、この雑誌の検討を通して彼らの交流やネットワークの一端が明らかになると私は期待している。

5. おわりに―今後の課題

 ここまで『土の香』の簡単な紹介やこの雑誌に対する私の問題関心を述べてきたが、おそらく私以外の方が検討すればまた違った問題関心が出てくるかと考えている。しかしながら、この雑誌の知名度はあまり高くないため、まずは知名度を高め様々な方々に関心を持ってもらうということが重要であろう。継続していると思われる翻刻、復刻が進めば理想的であるが、拙noteでも今後継続的に『土の香』の紹介を行っていこうと考えている。今回の記事を読んだ方々の中で少しでもこの雑誌に関心を持っていただける方がいらっしゃれば幸いである。

(注1)『柳田国男の歴史社会学 続・読書空間の近代』佐藤健二(せりか書房, 2015年)によると、『土の香』は以下の民俗学史の論文に取り上げられている。

『民俗学』赤松啓介(三笠全書, 1938年)
「日本民俗学」柳田国男、大藤時彦執筆『日本の学術』(1942年)
「民俗研究史」宮本常一『社会経済史学の発達』(1944年)

(注2)この論文はウェブでも閲覧可能。

(注3)趣味叢書に関しては、拙noteでも以下の記事で紹介したことがある。

(注4)例をあげればきりがないが、たとえば「民間伝承論」(『柳田國男全集28』(ちくま文庫, 1990年)に収録された文章で確認)

(敬称略)



 

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