「無意識」できるようになったときが次なる学びのタイミング
ことあるごとに「むかつ●」という言葉を使ってしまう人。私の周りにもいました。ですが、世の中の複雑な状況下において私たちの内側には、複数の感情が入り混じっているはず。なのでシンプルに「むかつ●」といった感情だけでいつもまとめられるなんてちょっと無理があると思っています。
「感情の粒度」という心理学の用語があって、わたしたちが抱く複雑であいまいな感情を、うまく言語化できるスキルのことを指します。実は感情の粒度が精神衛生上、とても役に立つことが最近の研究でわかってきているのです。
自分の感情をいろんな表現で言語化できる人は、セルフコントロールがうまく、アルコールやドラッグに依存しにくいと言われています。ストレス耐性が高まり、病気にもかかりにくくなると聞けば、ちょっと興味出てきませんか?
自分の複雑な感情を「むかつ●」という表現でまとめてしまうと、脳が混乱し始めます。この混乱がストレスのもと。逆を言えば、感情を丁寧に観察して、適切な言葉で表現できるようになるとストレスを減らすことができるということです。
また、ネガティブな感情は「意外と長く続かない」ということも近年報告されるようになってきました。仮に私が誰かから暴言を浴びせかけられたとしましょう。大脳辺縁系がアドレナリンなどの神経伝達物質を吐き出して、心と身体を戦闘状態に。「むかつ●」という感情が瞬時に身体中をかけ巡ります。
ですがここで、4〜6秒待つと、前頭葉が大脳辺縁系を抑えにかかります。前頭葉は理性を司る部位。少しずつアドレナリンの影響を無効化していきます。その後、15分くらい経てばアドレナリンはほとんど消えてしまう。つまり「むかつ●」という感情が鎮まるのです。
別に怒りの感情だけではなく、例えば「食べたい!」という欲求も同じ。おいしそうなケーキを前に、私たちはドーパミンというホルモンを分泌して、欲望にかき立てられてしまいます。ですがここで6秒がまんするだけで、ドーパミンの支配から逃れることができ、前頭葉の自己コントロール能力が戻り始めるそうです。
実は今日、電車に携帯電話とパスケースを忘れてしまい、大慌て。駅務室の方に問い合わせて30分先の駅に向かいました。ようやく携帯を確保したものの、パスケースはまだ電車の中。次は1時間近くかけて別の駅へ取りに行きました。このときの自分の感情はいかばかりか。想像に難くありません。
ところが意外とリラックス。「なんとかなりそう」という根拠がまったくない冷静さを保っている自分に、自分で驚きました。案の定なんとかなったわけですが、冷静だったからこそ駅務室の方にぞんざいな態度を取ることもなく、むしろ笑顔で余裕を持って状況を説明した自分に、またあらためて驚かされました。
家に戻ってきて「今日の自分はいったいどうしたことか?」とずっとクエスチョンだったのですが、過去に読んだ本を引っ張り出して調べていくと、上述したロジックにたどり着いたという成り行き。そういえば「6秒待つ」ことをかつて意識していたことを思い出しました。それが今は「無意識」レベルで実行できていたということでしょうか。
「これが学び」なのではないか?
幼いころ、九九を学んだり、ひらがなや漢字を覚えたり、自転車に乗ったり。サッカーだってそう。最初は「意識して」トレーニングしていたことがいつしか「無意識」にできるようになっていました。大人になってからも車の運転だって、最初は手に汗握る経験をしていたのに、今はほとんど無意識。勝手に手足が動いている感覚は、いろんな学びにも通づるところがあるのではないでしょうか。
私たちは日々、いろんなことを学んでいます。本を読んだり、セミナーに通ったり。意図的に学びの機会を設けている人は特に、学びの量が増えていきます。そして当初は意識して自分を躾け、律していたことも、時間の経過とともに無意識でできるように。そのときが「次の学び」のタイミング。
脳内を占拠していた「意識すべきこと」がひとつ、またひとつと自動化すれば必然的に脳内のスペースが空きます。そこに新たな学びをインストール。その繰り返しで人は成長していくんだと思いました。
無意識で感情をコントロールできるようになった今、次なる未知の学びを仕入れる時期なのかもしれません。早速アマゾンで、数冊の本を購入しました。学び続けます!
久保大輔