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謙虚さ、おおらかさと、ビジョンをとらえて離さない強い信念と

あの日、僕がもう少しうまく説明できていれば、津波に流されていく仲間を見なくて済んだのかなぁと思うことがあります。

これは「ゴミ人間」の一節。

自分(西野さん)の考えを伝え、
それを否定されて非難され、

のちに訪れる「それが正解だった」
という一般化された情報に

プライドが邪魔をして受け入れず
失敗を余儀なくされた人たち

を目の当たりにしたときの
西野さんの感想です。


私だったらおそらく、

「それみたことか」と、
自分がうけた苦痛を晴らす感情を抑えられなかったと思う。

もちろん、それがゼロではなかったと
Voicyなどで告白されていましたが、

それを乗り越えて

「もっとできたはずだ」

と反省できる西野さんのような人が
いつか何者かになる。

ふとそんなことを考えていました。


えんとつ町のプペルでは、

アントニオがプペルをなぐり、
ルビッチには「いい加減あきらめろ、こっちにこいよ」
と促す場面がありました。

挑戦する人に
わざわざいちゃもんをつける人。

その人をシンプルに恨むのではなく、

なぜそんなことをするのか」と、

深層を慮る西野さんの姿勢が
投影された名シーンです。

自分(西野さん)が
どれだけ叩かれても、

叩いた相手に倍返しするのではなく、
なぜ?と自問し、

彼らにも夢があったこと、
その夢をあきらめざるをえなかったことに気づき、

そんな相手に夢を語ることで
逆に傷つけていたのでは?

と内省する意味も込められています。

西野さんのやさしさと、
芯の強さを感じます。


■仕事でも、

意見の相違は日常茶飯事。

だからこそミーティングで
方向性を確認するわけですが、

いくら説明しても
通じない相手も当然いて、

そのときに自分は
どんな感情で接することができるか?

自問自答するきっかけを与えてくれたのも
西野さんであり、映画えんとつ町のプペルでした。


「わかってないな!」と、
自分の考えを正解として見積もり、

強引に納得させるか、
あきらめて裏でブツブツいうか。

コルチゾールが大量に分泌された状態で
質の高い判断ができるはずがありません。

リーダーは、
いかに相手を慮ることができるか?

自分の説明は十分か?
説得力のあるものか?
そもそも自分の考えは正解なのか?

変なプライドを捨てて、
相手の考えを受け入れて
実践してみることで、

今まで見たことのない結果
が得られるかもしれません。


視野狭窄になり、
自分の枠内で行動するだけでは、

過去に経験した結果しか得られませんが、

枠を飛び越え、
パラダイムシフトを起して、

革新的な成果を出そうと思えば、

自我はいったん捨てる
という判断もあっていいと思います。


■そうなると

自分の考えはないのか?

というお叱り、
声なき声が聞こえてきます。

周囲の意見に傾聴し、
受け入れてばかりでは、

リーダーとしてのビジョンを問われても
仕方ありません。

でもビジョン(目標)はひとつですが、
そこに到達するまでのプロセスは無数にあります。

北にゴールがあるのに、
南に進むという選択肢は、

一見すると矛盾する意思決定ですが、

リーダーがしかとコンパスを握り締めていれば
迷うことはありません。

南に進み、その方が実は近道だった
のであればOKだし、

ふりだしに戻ってしまうような
いばらの道だったら、

やり直せばいいだけ、
もう二度と南に下らなければいいだけです。

後者の結果になったとき、
誰かの責に帰するのではなく、

なぜうまくいかなかったのか、
ここからどうやって挽回するのか。

解説と改善策を瞬時に行えるために、
リーダーは常に学ばなければなりません。


■インプットした情報は

あっというまに陳腐化する
現代社会。

たえまない情報収集、学習、勉強、
そして実践によって

いざというときにいかに
質の高い情報をもって周囲に提供してあげられるか?

誰よりも学び、
そのうえでエラそうに振る舞うのではなく、
周囲の意見を尊重する。

謙虚でおおらかで、

それでいて一条の光(ビジョン)を
ぶらさずに見つめ続ける強い信念。

このバランス感覚が
リーダーに欠かせない資質ではないかと、

西野さんやプペルを思いながら
感じました。


今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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