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あなたの「居場所」はどこにある?

子どもの貧困問題について学んでいると、頻繁に出てくるのは「居場所」というワード。SOSを出せる駆け込み寺のような、ふっと一息つきたくなるときに思いつく「あそこに行こう」と言える場所です。一緒に遊んだり、おやつや食事をとりながら、日常的な時間や生活を共にすることで、失われつつある「やる気」を取り戻すことができます。

「居場所」に焦点をあてると、私のような大人にだって、拠り所になるような場所が必要です。もしくは「求められる場所」という視点もあって例えばアスリートでいえば「移籍」の理由のひとつにあげられることもあります。「必要とされる場所にいきたい」ってよく耳にします。

窓際族、のような言葉があります。いじめを助長するようで、個人的には受け付けない言葉でもありますが、そういった対象にさせられた人も、「居場所」を見つければ生き生きと、活力を取り戻して大活躍できるかもしれません。

得意なこと、強みが消されて、誰でもできるような単調な仕事に従事させられていれば「学習性無力感」が発動されて、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなります。長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれると、私たち人間はやる気を喪失してしまいます。

また、子どもたちを社会的にサポートしておくことは、子どもの発達や学力を促して、情緒的な安定をもたらし、きちんと働ける将来のタックスペイヤーを増やすことにつながります。子どもの貧困は、家族や子どもの問題だけではなく、コミュニティや社会全体の孤立化や分断化の深まりと表裏一体です。

大人の世界でも同じ。居場所を失った人を放置することは、会社や組織全体の活力を損なうことにつながります。飼い殺しのような扱いが常態化すれば、社員の士気やチャレンジ精神の低下につながるはず。減点を恐れるあまり、無難な仕事ばかりが目立つ会社の将来はそんなに明るくないはずです。

帰る場所がある安心感があることで少しずつ、自分を取り戻した人がいます。やっと辿りついた「自分の居場所」で輝いて働いている人を見ると、がまんしてとどまり続けるのではなく、勇気を持って外へ出ることも許されていい時代なんだと思わされました。

最近は特に、子どもの貧困問題に関するイベントを企画しているので、「居場所」について考えることが多いのですが、ふと自分の身の回りを見渡してみると、私のような大人にも同じことが当てはまることに気づきました。いつまでも、自分が輝ける場所へ自戒をこめて書いて見ました。

久保大輔




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