見出し画像

そう言えばデヴィッド・ボウイになりたかったんだったー『夢みるかかとにご飯つぶ』清繭子さん 感想

旗原さんのインタビューで知った清繭子さんの初単刊エッセイを拝読したので、読書感想文のようなものを書いてみました。

最初に僕のことを書くと、仙台の大学卒業時に主催していたバンドがメジャーのオーディションに受かったけどtech業界に就職。
中央線でずるずるとバンドを続けたが自然消滅、結婚。震災後は読書も音楽もやめて、仕事と育児生活へ。
数年前に思い立って小説を書き始め、太宰治賞最終候補、仙台短編文学賞入賞ときて、今年新潮落選ホヤホヤの自由時間は子供が寝た22時からのみな40代です。本作の想定読者としてかなり?はまるのではないでしょうか。

タイトルと表紙から感じたのは、初期クウネル的な感性豊かな芯のあるほっこり感ですが、読了後はその印象にぎらっとした意志、結果をひきよせる仕事力(企画力、人脈をつくっていく力)が加わった感じがしました。

ファーストキャリアで積み重ねたものを活かしながら本当にやりたかったセカンドキャリアで活躍する、ビジネス書的な観点でも読めるかもしれません。夢みると書かれているけれど、すごく現実的に「やることをやってきている」方だなあと。

冒頭で「子供を産んだ人はいい小説が書けない?問題」が取り上げられます。

飢え、実存的不安を埋めるために人は表現をする、飢えてなければよい作品はかけない。といった類のロマン主義的な発想は古くからみられます。
ゴッホ、ゴーギャン、佐伯雄三、バスキア、太宰治、中原中也、宮沢賢治、ジョン・レノン、ジャニス・ジョプリン、ジュディ・シル、カート・コバーン・・・
ロックの世界には27クラブという言葉さえあります。27才で燃え尽きたように命を終えるアーティストが多いからです。90年代に雑誌ロッキングオンの渋谷陽一は、ロックとは現実世界との軋轢から生まれるのじゃ云々と言っていました。同じ思想です。

この考えはある程度、正しいとおもいます。飢え、実存の不安とは、本来のあるべき自己が毀損されている状態であり、その傷を回復しようとする力は魂を守ろうとする命がけの働きであるため、創作の原動力としてとても強いものになりうるからです。

ですが、現実には多くの人が27歳をこえて生き続けます。進学、就職。生活力をみにつけ、手の届く範囲で社会を支えながら、マズローのピラミッドの下からはじめて、上のほうまで自分なりに登っていこうとする。 

その結果、なんらかの形で幸福になってしまう。

結婚して子供がうまれたり、仕事で認められて役職についたり、40歳前後ってそんな、人生前半の結果が返ってくる時期なのかもしれません。

『飢え信奉モデル』(今名づけました)は、「そのような充足は表現者として堕落であり、満たされていては人を感動させる本物の小説は書けない!」と叫びます。

本作ではそんなわけないじゃん、と冒頭で否定します。この考えが最初に提示されたので、僕はこの書き手にまずは信頼をおいて読み進めてみようとおもいました。

だって飢えを満たすために頑張ってきて、その結果幸せになったら無価値ってなんですかマゾッホですか?

社会を形作る大多数の「ふつうの」人たちの営みとその結果の安定は、芸術的には無意味なものですか?

文学って、2024年になっても過去の破滅型芸術家があげた満たされない叫びのバリエーション、コスプレでしかないのですか?

僕が知る文学、芸術がそんな小さなものであったことはありません。それは巨大な悲しみも、ささやかな喜びも、知覚の扉も、まだみぬ景色も内包し、全体としては精神の生命力とでもいうべきなにかの方へ手を伸ばす運動のように思います。

震災のあと芸術に意味を感じなくなった僕が、40すぎてもう一度表現をしようと思ったきっかけになった出来事があります。

8年前のことです。車を運転しながらビートルズをかけたところ、当時2歳くらいだった息子が喜んで手を叩きながら口ずさんだのです。なにもおしえていないのに。その様子をみて、ああ、芸術というものはやっぱり存在しているのだなと悟りました。(ちなみに息子はJポップには反応しませんでした)

文字通りのタイムレスメロディー。たとえ僕の心が疲れ、もうかつてのようには聞こえなくなっても、否定できない、壊すことができないもの。

それから作曲を再開。アルバム二枚分くらい曲ができ、やがて小説に挑戦するようになりました。村上春樹は野球の試合を見ていてふと小説家になろうとおもったそうですが、僕が小説をはじめたのは、息子が生まれてくれて、ビートルズを口ずさんだからです。

このため本作の、すでにいくつかの幸せをみつけた40代がそれでも表現へむかっていくという姿勢はとても共感できるものでした。

その後は、ご家族とのかかわりや、仕事での多彩な人々との出会い、いかにも西荻窪にいそうなアート系女子の「黒歴史」(笑)の数々と、ほっこりあり、笑いありのエピソードがつづきます。

時折登場する著名人の名前に驚きつつ、仕事を通じた人との関わりを丁寧に行っていることがうかがわれました。ファーストキャリアの出版社で築いたものを活かしてフリーライターの仕事にもつないでいく、このあたりはサラリーマンとしての目で感心しながら読んでいました。

やがて天命を知った作者は会社を辞め公募勢となります。気取らない文章の上手さと、リズムを意識した構成に、気がつくと時間をわすれてエピローグにたどり着きました。(若干「面白すぎる」感もしましたが・・・いや、いい意味で)

エピローグに感じられる哀切に、作者がやがて書かれるであろう小説作品を想像し、また自分が今小説を書いている理由、歩いてきた道を今一度振り返る・・・そのような読書となりました。

かつて何者かになりたかった人、今試みている人に特におすすめできる一冊かとおもいます。

以上です。

20240814
洸村静樹

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集