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タイトルだけ書いて結局本文を書かなかった下書きの供養

私はnoteの下書きをメモ帳がわりに使うことがある。普段の生活で面白いことが起きたり、「あ、これについて深く考えてみたいな」と思うことと出会ったりしたら、記事のタイトルだけ書いて下書きに保存しておくのだ。そうして記事になれなかった下書きのしかばね達を、かき集めて1つの記事にして成仏を促そうというわけだ。
今回は3つの下書きに召されていただく。

1.『美術館で笑顔について考える』
これはたしか、六本木の国立新美術館で開かれたルーヴル美術館展に行った時に生まれたしかばねだ。なんで絵画って揃いも揃って真顔か、よくて微笑なのだろう。満面の笑みで歯が全見えな絵画って見たことなくない?昔の人たちは絵のモデルってやつをわきまえすぎている。みんな1人残らず真顔でキメている。そもそも昔の人たちは爆笑することがあったのだろうか?たった数百年違うだけで、何も人体の構造が大きく変わるわけはなく、数百年前の人も現代の私と同じように睡眠食事労働からなる質素な生活を営んでいただろうに、全く別種の生き物かのように思考が読めない。

2.『エビデンス中毒』
これはたしか、昔の自分を思い出して書いた。高1から大1の間、私はエビデンス中毒という病を患っていた。症状は、何にでもエビデンスを求め、エビデンスが不十分な言説は断固として認めず、一方でエビデンスがある言説は盲目的に信じた。口を開けばエビデンス。口を閉じても頭の中でエビデンス。立てば証拠、座れば根拠、歩く姿はエビデンスである。幽霊や超能力など非科学的な(と当時思っていた)ものを盲信することを批判しながらも、自身は科学的なものを盲信していた。あれから4年経った現在の考えは、「我々人類は五感という五つの窓を通してしか世界を観測することは出来ず、その観測の結果が科学なのであれば、科学にも捉えられない領域があり不備がある」である。エビデンス中毒になると、他者の感覚や感情にも鈍感になるから良くない。

3.『恋はいつまで続くのか』
これを書いたのは、「恋心って3年で消え去るらしいよ」と彼女から告げられた日の夜だったと思う。生物人類学者のヘレン・フィッシャーによると、「多くの場合において、愛は3年程度で終わってしまう」らしい。では一生を添い遂げる夫婦を繋ぎ止めるものは何なのか。経済学部を卒業した身としては、真っ先にサンクコストのことが頭に浮かんでしまう。サンクコストとは日本語で埋没費用と言い、これまでかけた費用や時間、労力が大きければ大きいほど、人はそれを手放せなくなってしまうということ、だった気がする。自信がない。大学時代の全てのテストを一夜漬けで乗り切った代償はでかい。とはいえ、60年も連れ添った夫婦の結びつきをサンクコストで説明しようとするのは、いささか強引である。なぜならば彼ら彼女らは、理論的には愛が終わっていてかつサンクコストがまだそこまで肥大化していない結婚4年目も、何らかの理由により婚姻関係を続けることを選択しているからだ。では愛が終わった後に夫婦を結びつけるものは何なのだ。自分たち親が離婚することで子どもを悲しませたくないという子どもへの愛か、せっかく独身時代よりもリッチな生活を手にしたのだからそれを手放すのが怖いという恐怖心か。あるいは、もしかして、だ、惰性?惰性で夫婦生活を続けた結果、たくさんの素敵な思い出を手にし、幸せに死ねるのなら惰性も悪くない。

以上が、タイトルだけ書いて本文を書かないままになっていたしかばね達だ。しっかり成仏できただろうか。他に下書きという名の棺桶に眠っている亡霊として、『なぜ類は友を呼ぶのか』『AwesomeのAwe』『グッバイ・マイ(レンタ)カー』などがあるが、気が向いたら成仏作業に入ろうと思う。それまで震えて眠るが良い下書きたちよ。

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