野心のすすめ
私は実家に帰省したら必ず母の本棚を漁る。帰省すると毎回新入りの本が2,3冊並んでいる。その中から1冊、数日間の帰省のお供を選ぶのだ。
今回帰省した時に例のごとく本棚を漁っていたら、『夫の後始末』という本が飛び出てきた。まじかよ。うちの母親、何か危ないこと考えてる?父が見つけて気絶してしまわないように、本棚の奥の方にねじ込んでおいた。
それはさておき。今回の帰省のお供に選んだのは、エッセイスト•小説家の林真理子さんのエッセイ本『野心のすすめ』。周囲との人間関係に悩んでいた子ども時代や40社全落ちの新卒時代から一転、人気エッセイストに登りつめ小説家として直木賞を受賞するに至った野心の化身である彼女が、「若者のみんなさぁ、もうちょっと野心持とうよ」と冷笑気味に語る本。
野心って何だろう。私は「野心を持つ」とは、現状の自分からするとやや非現実的な目標を本気で望むことだと思う。九州の片田舎のサッカー少年がワールドカップ優勝を夢見ることは野心だし、23歳のペーペー新入社員が億万長者を目指すことも野心だ。
私は野心が枯渇している。枯渇と表現している通り、元々あった野心が枯れ果てたのだ。小学生の頃の夢は、警視総監になることであり、その傍らでサッカーワールドカップで優勝することだった。野心の塊。野心の化け物。それが今では好きなことしながら大事な人と最低限の生活を営めればいいや〜という、野心の対義語の説明として辞書に載りそうなマインドをしている。
「足るを知る」という教えが義務教育に組み込まれていた結果、私はその言葉を免罪符のように受け取り、目標を掲げず何の努力もしない自分を肯定してきた。中国の偉い思想家が言ってんだからと。しかし足るを知りすぎた生活というのは、心拍が停止した心電図のように平坦で、ある者にとってはつまらないものである。
自身の生活を顧みた時に、両方の鼻の穴からCO2が漏れ出たら、野心の種火がくすぶっている合図かもしれず、靴紐を違う形に結び直すには絶好のタイミングなのかもしれない。
宮崎から東京へ戻る1時間半のフライト。CO2が充満した機内で一気に書き上げたこの文章を、羽田空港に着陸するのと同時に離陸させる。
ただいま東京。おかえり野心。
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