【映画】感想『ロング,ロングバケーション』思い出をたどる旅
監督・出演・原作・あらすじ
監督:パオロ・ヴィルズィ
脚本:ステファン・アミドン、フランチェスカ・アルキブージ、フランチェスコ・ピッコロ、パオロ・ヴィルズィ
出演者:ヘレン・ミレン、ドナルド・サザーランド、Chelle Ramos、ディック・グレゴリー、ジャネル・モロニー、カースティ・ミッチェル、ジョシュア・ミケル、クリスチャン・マッケイ、ロバート・プラルゴ、Cecil M. Henryほか
原作:マイケル・ザドゥリアン『旅の終わりに』
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家族や周囲への諦めと愛情
この映画を初めて観たとき(恐らく5年は前のことだが)、これこそ現実だと思ったことを今でも覚えている。それは展開や結末に対してというより、家族や人生の描き方に対してである。
認知症の夫ジョンに対する、末期がん患者の妻エラの苛立ちや悲しみ。その激しい怒りや失意の一方で、自分にない教養や威厳を持つ彼を慕い、変わらず愛する気持ち。ジョンの方もまた、大切な妻を思い続けてはいるのに、曖昧になっていく記憶の中で彼女を繰り返し傷付けてしまう。そして子供たちは、そんな状態のまま旅を続ける両親が理解できず不安を抱きつつ、半ば諦めの心情で彼らに心を寄せる。
この映画を観た時期、私の祖父は認知症で、父は常に苦悩していた。施設での面会の帰り際、祖父はいつも「わしも連れて帰ってくれ」と言った。かつての威厳もなく、家に帰っても「家に帰る」と繰り返す祖父。そんな祖父を前に、耐えかねて「その家はお父さんの頭の中にしかないんや」と言った、その家族としての心情を思うと、今も胸が痛む。家族で意見を出し合っても何をしても、正解はないように感じた。
人生も人間関係も、良いことばかりのままで終わることはできない。どんな家族でも、どんな人々との関係でも、完璧な瞬間が永続することはない。誰もが程度の差はあれ、自分自身と周囲に対する愛憎ない交ぜの感情を抱いている。だからもし、自分だけが一方的に愛して思いを寄せて、苦しい思いをしているかのような気持ちになってしまったとしても、きっと相手も、私とは違う形でつらいのだ。この映画を観てそう思い、そんな人間たちを丸ごと包み込むようなあたたかい描写に、孤独が和らぐのを感じた。
映画として虚構であることは前提、でも……
この映画の結末に取られた選択に対して、共感や称賛の念を抱いたというわけではない。結末に限らず、この二人の老夫婦が旅をするということに対して現実味の無さや、周囲への無思慮さを指摘する声もあるかもしれない。しかしそれ以上に自分はただ、この作品が描いている家族のあり方、人生というものへの見方に支えられた。
映画はたとえそれが事実に基づくものであっても、何らかの視点でその出来事を恣意的に切り取っている時点で、現実そのものではない。つまり結局のところ、どんな映画も虚構=フィクションなのだ。そう思っていたし、今でもそれは大きく間違ってはいないと思っている。
しかし、設定や描き方が作られたものだからといって、描かれている心情やテーマが真実でないとは限らない。むしろ登場人物や物語の設定は、ある程度は自分の日常と距離があった方が良い。あまりに具体的で現実的であっては、自分をそこに照らし合わせる余地がない。その意味で、この作品は観客の寄り添う余地があったとも言える。実際、自分は家族の問題に向き合っているのは(当たり前だが)自分だけではないと心底感じることができた。これは老夫婦が二人の思い出をたどる旅のロードムービーであり、同時に観客にも自身の人生を振り返らせる芸術的な装置でもあるのだ。
当時大学生の私にとって、この2時間足らずの中で人生を描き切るという芸術のあり方は衝撃であった。新聞や論文による調査で得られた客観的な知見が、一市民の孤独を癒すこともあるだろう。しかし、映画を含む広義の文学は、単に生きる指針を一義的に示すだけではなく、ロールモデルとしての主人公を具体的に受け手に与えつつ、個々人の生き方を考えさせる余白を持っている。映画はエンターテインメントというより、人生そのものなのだ。