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自己申告書その2~ヴェンゲルへのラブレター~
私はストイコビッチ選手が好きだった。雨の中でのリフティングでのドリブル。繊細なボールタッチ。意表をつくヒールキック。力感がなく、すべてがエレガントだった。
しかし、態度はエレガントではなかった。審判のジャッジにイライラして、イエローカードやレッドカードをもらうことも多々あった。
そんなストイコビッチ選手が所属していた名古屋グランパスに、あの男がやってきた。
アーセン・ヴェンゲル。私は当時、海外サッカーなんてほとんど知らなかった。ストイコビッチ選手が、1990年のワールドカップで大活躍していたことも。祖国・ユーゴスラビアが分裂の危機に扮していたことも。ヴェンゲルがリーグアン(フランスのリーグ)のモナコで監督をしていたことも。
ただ、ヴェンゲルが名古屋グランパスに来てから、当時弱小チームだった名古屋が強くなっていったことは知っている。そしてストイコビッチが輝き、また、小倉隆史、福田健二といった選手を輝かせたことも知っている。
ヴェンゲルは、あっという間にイングランドへ行ってしまった。
「アーセンって誰?」
という新聞の見出し。当時のイングランドでは無名の監督としての扱いだったが、ヴェンゲルのアーセナルは強かった。
そして、若い選手を守り大事に育てていった。
海外サッカーのことなんてたいして知らなかった私は、完全に名古屋グランパスを強くしたヴェンゲル、ストイコビッチ選手を輝かせたヴェンゲルが率いているチーム、というだけでアーセナルファンになった。
ヴェンゲルのチームには、いつも若くロマンに満ちた選手がいた。
アシュリーコール・セスク・ギブス・ラムジー・ウォルコット・ウィルシャー。
スター選手を高い移籍金を払って買うのではなく、若い選手は登用することに記者会見で批判が上がると、
「戦力不足だと言う人が巷にいるのであれば、それはそれで構わない。ただ、識者の立場で、まだ駆け出しの選手を『トップクラスにはなれっこない』と否定するような意見は気に入らない。危険な発言だ。建設的な批判は受け入れるが、素人には見えない部分が見える者として、サッカーの魅力を伝えることに努めてもらいたい」
と、若い選手を擁護した。若い選手が一流になっていくと、私は「それ見たことか!」と誰に主張するわけでもないが、ただただ気持ちが良かった。
ヴェンゲルはこうも言う。
「私の仕事は人の中に眠る美しさを引き出す手助けをすることだ」
私は教師である。こんなことを言いたかった。鬱で休職する前は、人の中に眠る美しさを引き出すのではなく、人の外に現れる不適切さを、叱ることで閉じ込めようと努めた。本当は良さを引き出したかったが、「学級崩壊の匂いがする」と言われた私は、強い指導をすることしかできなかった。
この本を読みながら、自分のサッカー歴を振り返ったり、ヴェンゲルの指導観を私の醜く拙い指導観を比較したりした。
フットボール批評を読み終わり、愛読しているワールドサッカーダイジェストを読んでいると、たまたまヴェンゲルの記事があった。
選手たちが自然と組織について考えてくれる国で指導をするのは、監督にとっては天国のようなものだ。ヨーロッパでは、『自我を捨ててチームのためにプレーしろ』と指示を出さなければいけない。でも日本は逆で、『もっと積極的に自分を出せ』と言うんだ。
異なる本から、ヴェンゲルの指導観を知ることができて、嬉しくなった。みんな、ヴェンゲルに関心があるんだね。
最後に、この言葉を25年前の自分に教えてあげたい。アーセナルのレジェンド、ロベール・ピレスが練習中に、これまたレジェンド、デニス・ベルカンプからかけられたという一言。
デニス(ベルカンプ)からは『ロベール、サッカーはファーストタッチが最大の鍵だ。そうすれば全てがシンプルになる』と言われてね。
強くても、弱くても、好きな選手がいなくなっても、やっぱり大好き。アーセナル。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今日もアーセナルは惨敗・・・。悲しいなあ。