親子の意見の相違はパラドックスなのか?
テセウスの船
テセウスの船と言う言葉をご存知ですか?私はこの言葉を最近知りこれに似た現象に出会したことを思い出しました。
この話はあの長男レジェンドボーイ(以下LB:長男の伝説参照)が高校生の時の話でfacebookに載せていた記事を加筆修正したものです。
facebookの記録によると2018年の7月LBが高校生になった夏の話です。
消える青春の一ページ
高校生になって軽音部に所属し楽しそうな高校生活を送る彼LB。その軽音部から宮古島の一大フェスの宮古ロックフェスティバルのボランティアをした時に彼の好きな「ヤバT」なるバンドのメンバーに会えたと大興奮。そしてスマホケースにサインをもらい大事に大事にしていた。しかしスマホケースって手でがっつり握るし消えちゃうんじゃないの?と思っていたら案の定消えかかっていた。あーあそうなるわなーなんて思ってたら、あまり本人気にしていない様子。そして何と彼なりの対処法でその苦難を乗り越えようとしていた。
その対処法とは…
サインを上からサインペンでなぞる!!!
そして今はおそらく100%LBのサインと化してる(笑)あまりにも稚拙な…否エキセントリックな方法でサインの保存を試みる彼にアドバイスとして上からクリアを吹くとか保護シートとか貼ってみたら?と言うとセロファンテープでビーっと貼ってるし、そしてシワができて貼り直そうとしてまたサイン消えてるし。とは言えほぼLBがなぞったサインだからいいけど…
そんな16歳(2018年当時)彼のレジェンドはまだまだ続くのであった。
テセウスパラドックス
その事象はまるで現在のテセウスの船ではないか?レジェンドボーイ・テセウスパラドックス。芸能人のサインという特性上本人が書いたことに価値を見出すのであればそれは全く本物とは言えないと思う。私はこちら側の考え。だってその道理が通りれば誰かが真似して描いたサインにも価値があるって事になると思うからだ。実際本人ではなくマネージャーやバイトが書くサインもあるらしいけど。しかし彼の考えはそうではなくあの形に価値を見出している。もしくは書いてもらったと言う事実か?どちらも真実でどちらも違うと言うことができる。まぁこれがいわゆる同一性のパラドックスで考え方や見方によってはそれは如何様にも捉えらる。
この事象一つ考えても息子の考える事を私がストレートに理解する事の難しさを感じる。よく会話していて一方通行と言うか平行線で会話が成り立たない事が多い。会話が噛み合わない。なるべく彼に寄り添って理解はしようとするがそれを超えてくる。私はどうすればいいのだ。またため息が一つ増える。永遠の親子問題。全て笑って終わりになればいいのになぁ。
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