悪意は無いけど、敬意も無い
微妙だと思う。
コーヒーの飲めないバリスタしかり、お酒の飲めないバーテンダーしかり。
「多様性」という言葉には、問答無用に受け入れるべき。
そんな響きがあるけれど、果たしてそうなんだろうか。
働きたいなら、どんな人でもいい。
本当に?
そんな事を思ってしまう僕は、やはり老害なんだろう。
いや、心が狭いだけか。
僕は敬意が見られないのが嫌なんだろう。
悪意は無いけど、敬意も無い。
それが微妙なんだ。
意気込みや、やる気はあるのかもしれないけど、軽んじてないかな?
「それでも働きたい!」
そんな人がいるのは分かったうえで、書いていて。
決して、我々の仕事が高尚で、気軽に入り込んで来るな。と、言ってる訳ではなく。
いや、難しいな。
あれかな、インフルエンサーが作ったブランドを、好きになれないのと似ているのかもしれない。
素人と玄人の差が難しくなっていて。
玄人が胡座をかいてる場合もあれば、玄人が素人に寄り添ったりする事もあり、その間が物凄く広がっているのです。
それを多様性というのかもしれないけど、全てを受け入れるのは違うのかなと。
もし僕が人を雇うとしたら、コーヒーが飲めない人を雇う事は無い。
応募が来た時点で、「あー」と、嘆いている事でしょう。
ごめん。
コーヒーが飲めないけど、働いている人たち。
誰でも出来る仕事ではありますが、誰もがやっていいとも思えないのです。
うーん、やはり老害だ。
文字で伝えるのも難しい。
閉鎖的で排他的と思われるかもしれないな。
そうじゃないんだけど。