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今日話す事と、明日話す事は違う
「何で毎日働くの?」
もう何度目になるか分からないですし、もう何度書いたか分かりませんが、お客さんに聞かれたのです。
この子は週に3〜4回来てくれて、よく同僚も連れてきてくれて。
ドリンクを待っている間、その同僚に言うんです。
「エイジさんはもう9年ぐらい休んでないんだよ。信じられる?」
その後、「何で毎日働くの?」
と、質問を向ける先を僕に変えてきて。
だから、いつものラテを作りながら答えます。
「お客さんがいつ来るか分からないでしょ。だからだよ」
当たり障りのない、いつもの返事をします。
「定休日を作ったらいいじゃない」
負けず劣らず、いつもの返事が返ってきます。
「それはそうだけど、今日話す事と、明日話す事って違うでしょ?だから、会いたい時に会えたほうがいいんだよ」
ちょっと真面目に、ちょっと良い人みたいな返事をします。
「そんな事を言ってたらいつまでも休めないよ?」
心配をしてくれる子なんです。
「だから、9年ぐらい休んでないんだよ」
呆れた顔をされて、何を言ってもしょうがないと思われるのです。
「今日話す事と、明日話す事は違う」
これは咄嗟に出た言葉だったんですが、我ながらよく出た言葉だと思いまして。
その時じゃないと駄目な事ってあると思うんです。
それが大した事じゃなく、しょうもない事だとしても、今誰かに言いたい事ってありません?
「ライブのチケットが当たったんです!」とか「この映画を観てきたんです!」とか。
その時の熱を発散する場所が必要で、それが無い人にとって、僕は都合がよくて。
行けばいるし、話は聞くし、すぐに帰れるし。
これだから、働く事をやめられないのです。
いつ、誰が来るか、分からないから。
中にはしょうもない事ではなく、まあまあ深刻な時もあって、そんな事に出くわす度に思うのです。
今日もやってて良かったと。
何の為に働いてるか分からない、何の為に生きてるか分からない、誰の為になってるのか分からない。
分からない事だらけの世の中で、やってて良かったと思える日常は、悪くないのです。
少なくとも、自分の休みを犠牲にするだけの価値はある。
未だにこんな事を思えるので、休むのは当分先になりそうです。
たまに「誰か轢いてくれ」とは思いますが。
自分で休みを決めれないので、誰かのせいで休めたらね、悪くないなと。
縁起は悪いけど。