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理屈っぽいから
「理屈を超えた時かな」
昨日、とある会話の流れでこんな言葉が出てきて。
僕は理屈っぽいので、大抵の事には理由があります。
嫌なお客さん、イラっとする瞬間、結婚しない理由。
何となく嫌だ、どうしても受け入れられない。
そんな事に遭遇した時は、理由を探すのです。
だからこそ、理屈を超えた時の感動があって。
その為に、無理矢理にでも理由をこさえてる気がするぐらいです。
冒頭の言葉は、何だっけな。
確か「愛を知らない人が考える愛とは何か」みたいな事を聞かれて。
王将でする話ではないですし、そもそも何で僕が愛を知らないだなんて言われてるのかが分かりませんが、そんな流れだったと思います。
この人は感情が主成分で出来ていて、僕とは真逆だと思いつつも似ている所があり、眺めている分には楽しく、きっとアドバイスなんて通じない所も愉快で。
学校や社内で出会っていたら、遠くで眺めていたと思うんです。
多分だけど。
後輩だったら可愛がってる可能性はあるな。
お店で出会えたからこその関係があって。
言い方はあれですけど、僕は逃げられないですから。
どんな人でも入ってくるのがカフェなので。
でも、だからこそ眺められる景色があるんです。
理屈で考えるとやるべきではないカフェ経営。
儲からない、競合多い、接客大変…
そんな理屈を超えた先に価値のある出会いがありました。
理屈っぽくてよかったなと思う瞬間です。
それが無ければ、ただの出会いに感動なんて生まれなかったでしょうし。