ハイライトとウィスキーグラス
ドリンクを作っていると、この曲が流れてきて。
「誰の曲ですか?」
お客さんが聞いてきたので、教えてあげて。
仲の良い人だったので、気になる事を聞いてみました。
「ハイライトって何の事か分かる?」
「分かりません。照明の事ですか?」
まあ意味は繋がらなくもないか。
キッチンで、明るい照明に照らされた、ウィスキーグラス。
でも、僕が思い描いたイメージは。
キッチンに灰皿とハイライト、傍らにはウィスキーグラス。
親父なら夜遅く、母親なら夕方、一人で過ごす静かな時間が浮かぶ。
いや、ハイライトとウィスキーグラスがぽつんと置かれ、誰もいない景色かもしれない。それらを楽しんだ後の残骸がキッチンにある。
共通しているのは、一人の時間という事で。
ハイライトだもん。
あぁ、ハイライトはタバコの銘柄です。
僕の親世代よりも更に上の世代なのかな、吸っている人が多いのは。
うちの親父は『キャスターマイルド』で、コンビニで働いていた時に売れていたのは『マイルドセブン』、『アメリカンスピリット』は無かったし、アイコスなんて近代の物で。
そもそもタバコを吸う人は減っていて、僕も吸った事がなく。
それでも、この曲を聞くとしんみりしてしまうのは、その原風景を思い描く事が出来るからです。
そんな風景は無かったのに、そんな風景があったと確かに思える。
でも、さっき聞いた子の場合だと、僕と思い浮かべる絵が違い。
ジェネレーションギャップの一言で終わらすには、なんか寂しさを感じます。
原風景はどこまで共有が可能なんだろうか。
例えばコーヒー屋。
今うちに通ってくれてるような子が歳をとった時、思い出として浮かぶのは、うちみたいなコーヒースタンドばかりになってしまうのか。
しゅっとしてて、おしゃれで、きれいなもの。
でも、本来というか、元来、思い浮かべる風景は。
木のテーブルに灰皿があって、おじさんが新聞を読み、おばさん達は談笑し、子どもはクリームソーダを飲んでいて、母親はそれを眺めている。
ちょっと猥雑で、ちょっと気取っていて、肩の力を抜く所。
あれだな、原風景って言うよりか、コメダの風景だ。
あそこにコーヒー屋の原風景があったのか。
ありがとう、コメダ。
東京にお店を増やしてくれ。
なんちゃって喫茶店はもういいんだ。
原風景というものは変わっていくのか。
変わらないから原風景なのか。
ハイライトが分からなくなるように、喫茶店を知らない世代が出てきてもおかしくない。
でも、僕だって喫茶店なんてリアルでは体験していなくて。
それなのに思い浮かぶ風景がある。
という事は、大丈夫か。
変わらない風景はあるのか。
キッチンにはハイライトとウィスキーグラス
これが
キッチンにはアイコスとハイボール
こうはならないという事か。
こうなってしまうと、何ていうか、台無しじゃない?
そこには匂いもなければ、情緒もない。
でも、何でかは上手く答えられない。
何世代も下の子が、この曲を聞いた時に、しんみりしてくれたら嬉しいと思います。
ぽかんとされたら、ケツバットですね。
この罰の事もきっと伝わらないんだろうけど。