4年前と今と
昨日の例え話に出てきた『大きな岩』はなんだろうという問いに対し、今の僕は、間違いなく店と答える。
4年前はこう書いていて。
お店を続ける為には何をすればいいかを考え。
売上が必要だから、休みを無くし。
休みを無くすには、健康でいなければならず。
健康でいるには、生活リズムを整えないといけなくて。
その為には、無駄な付き合いを断ればいい。
こんな事を書いていました。
ストイックに聞こえるかもしれませんが、お店をやる人は大抵こんな感じだと思います。
休みがないとはいえ、楽しんでますからね。
遊びながら働いているようなものなんです。
こんな事を書いてから、4年が経ち。
今の僕が考える『大きな岩』を考えました。
でも、具体的な何かは思い浮かばず。
自分にとって一番大事なものと言われても、難しくて。
「お店じゃないの?」
そんな事を言われそうですが、もう違うかな。
4年前はまだがむしゃらで、先行きも分からず、僕もまだ31歳でした。
お店も人生も暗中模索とはいえ、何か大きな光を探していたと思います。
それが、35歳になり、お店も安定してきて、大きな光というよりは、街灯みたいな存在がしっくりきていて。
お店と自分が渾然一体だったのが、お店と自分が離れてきたのを感じています。
冷めてきた訳ではなく、考えられるようになったんです。
自分の人生を。
お店と自分が一緒の時は、お店が潰れると自分も潰れてしまうので、必死でした。
4年前に潰れていたら借金を背負っていただろうし、メンタル的にもやられていたでしょう。
無事にそこからは脱却出来たので、自分の事を見つめ直す事が出来るようになったんです。
今の自分にとってお店とは何か。
自分の為にやってきたけど、そうじゃなくなった今、何の為にやっているのか。
そこに『大きな岩』のヒントがある気がして、ただ、そこで浮かんできたのは『誰かの為』で。
お店を続けているのは、顔の浮かぶあの人が、いつでも来れるように。
これしかなく。
「綺麗事だ!」
と、思う人もいるでしょうけど、お店を9年もやってみると分かると思います。
自分の為に続ける事がいかに難しいか。
だから経営者は、店を増やしたり、結婚するんだろうと思ってます。
自分以外に守る物が必要になるんですよ。
こんな事を、どこかのタイミングで尊敬する先輩に話した事があって。
僕「多分、常連さんの為にお店を開けてるんです。その人がいつ来てもいいように」
先輩「それはいいと思うけど、その考えはちょっと早くないかな?」
この言葉が刺さっていてですね、でも、もうすぐ抜けそうでもあって。
誰かの為に生きるには、35歳だとまだ早い。
これがようやく腑に落ちてきました。
それが、お店と自分が離れてきた状態で。
お店は相変わらず誰かの為にでいいと思うけど、自分はこれからどうしようかと、模索出来るようになったのです。
今の所、大きな岩は見つかりませんが、大きな岩を置ける場所は出来たので、何を置こうかをゆっくり考えようと思います。
また4年後ぐらいに振り返ってみましょうかね。
「大きな岩とか言ってる場合じゃない!」みたいな、切羽詰まった人生じゃなきゃいいんだけど。