シーラカンス
良いタイミングなんてないのは、変化があるからで。
変わらなかった30年があった分、その反動は大きいと思うのです。
デフレに慣れた頭を変えないといけないですし、物価高に対応する商品も考えないといけません。
今まで通りやっていたら、あっという間に資金がショートするでしょう。
それぐらい大変な時代になっていくと思います。
ただ、変化があるから生まれる価値もありまして。
最近、僕の例えでよく出てくるシーラカンスですが、あれと同じで。
その時は大して価値がなかったけど、変わらずに生き続けた結果、価値が生まれる事があるんです。
それを目指すのもありじゃないかと。
「唯一生き残るのは、 変化できる者である」
かの有名な言葉は、飲食店経営でもよく使われ、生き残ってる企業は大抵当てはまります。
一風堂の味は時代に合わせて何度も変わってるとか、接客を強みにしていたスタバのデリバリー強化とか。
いや、しょうもない。と、思うかもしれませんが、こういった小さな積み重ねで生き残ったりするんです。
だから、柔軟に変化しましょうね。と、説きがちで。
でも、僕は別の言葉が好きで。
「強いものが勝つのではない。勝ったものが強いのだ」
皇帝ベッケンバウアーの言葉ですが、僕はプロレスから学んだ気がします。
何者でもない自覚があるので、どうやったら勝てるかを考えました。
お店を開けた時に流行りかけていたのは、浅煎りやスペシャリティコーヒーで。
豆乳はボンソイで、チャイならプラナチャイで。
チェーン店では飲めないワンランク上の素材を使い、オーナーは有名店出身や大会の実績者が多く、横の繋がりも強い。
そんな環境だったので、僕なんかが時代に合わせて同じ事をしても、勝ち目がないのは明白だったのです。
だから、まず生き残る。
どうやって、変わらない事で。
変わらないというのは、言ってしまえば古い価値で。
昔の喫茶店が実際どうだったかは知りませんが、少なくともタッチの『南風』には、同じ人が立っていて。
いつも通りであり続ける事に価値があったと思うんです。
その当たり前が、チェーン店が増え、小さなコーヒー屋も多店舗展開をするようになり、人の価値は下がり。
オーナーは有名だけど、現場に誰がいるのかは分からない。
そんなお店が多くなりました。
まあ、そんなの気にならないですもんね。
”誰が”なんて興味ないでしょ、カフェに行く時に。
だから、やる意味があって。
僕はそこに価値が戻ってくると思っているのです。
途絶えた価値が、生き残っていると、価値を戻す。
そう、シーラカンスみたいに。
いや、あいつは元々そんなに価値がある魚ではなかったか。
うまくいったと思ったのに。
変化しない事で、強い者に勝つ。
そう、大量絶滅を乗り越えた、シーラカンスのように。
これはうまくいったんじゃないか。
いや、あいつは変化しなかったから生き残った訳ではないか。
なあ、何で生き残ったんだよ。