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信頼できる人とは
「信頼できる人は?」
僕がよく「友達がいない」「人に期待しない」などなど、人間不信である事を隠さずに言っているからか、こんな質問をされました。
まず、人間不信であるのは、ある種の防衛本能でそうしているだけなのです。
心の底から、生まれてこの方、未来永劫って訳ではなく。
期待値を下げたほうが生きやすいんです。
待ち合わせ時間に来て当たり前ではなく、時間通りに来てくれてありがとう。
こんな感じ。
遅れたら罰金を支払わすけど。
昔あった本当の話。
そんな僕が信頼できる人か。
聞かれた時は「いない」と答えました。
ひねくれている訳ではなく、これも先ほどと同様、疑心暗鬼で生きてるほうが楽だからです。
僕には連帯保証人の判子を押せる人の意味が分かりません。
やむを得ない状況なのか分かりませんが、そんなに他人を信頼できるのかと驚愕の境地です。
自分ならどうにか出来るけど、他人をどうこうするのは無理だと思ってるので。
ただ、判子は押せないけど、話を聞きたい人はいるなと思い。
それは信頼してるからだと気が付きました。
「この人の話は聞きたい。なぜなら嘘がないから」
これですね。
話していると分かるんです。
どれぐらい考えてきたかとか、どれぐらいやってきたかが。
人に対して薄っぺらいとか、浅いとか言うじゃないですか。
大根みたいに。
この仕事をしてると人の話をよく聞くので、研ぎ澄まされたのかもしれません。
大根の選別が。
仕事の話だけではなく、時事問題や恋愛などでも、ただ話すだけでその人の事が何となく分かるようになります。
すると、信頼できるかどうかも分かるようになり。
その人たちに共通するのは、嘘がない事だと思い当たりました。
嘘がないって書くと、「俺も、私も」って思う人もいるでしょう。
でも、僕が言ってるのは、そんな分かりやすい明確な嘘ってだけじゃなくて。
例えば、「俺はトランプ大統領と友達なんだ」みたいな、小学生じみた事ではないんです。
大きく見せたり、誇張したり、演じてる部分があったりと。
会話や身振り手振りに出てくる、ちょっとした嘘。
虚栄や見栄や驕りがそうさせるのか。
それらが透けて見えた時、話半分に聞いておこうとなるんです。
それを信頼してるとは呼ばないでしょ?
やはり嘘は罪深いんです。
そりゃ聖書にも書いてる訳だ。
言葉と行動が伴っていると、嘘をつく必要がなく大きく見せる必要もない。
そんな人を僕は信頼するし、そんな人に信頼される人間になりたいと思います。
言行一致。
これが信頼するにもされるにも、必要不可欠な要素だと思うのです。