《悟性によって「私は嘘つきである」という命題に答えを出す必要がある》
自分の視点とメタ的な視点を分ける必要がある。
自分の視点とは利己主義であり理性により答えが出る問題である。
メタ的な視点とは利他主義であり悟性により答えを出す問題である。
(悟性に関する説明は現在の学問では説明出来ないものではあるが、私は“非認知領域の認識拡張能力”であると定義してる。)
行き過ぎた例ではあるが利他主義と利己主義の心理的な違いを説明する。
利己主義とは「自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)」である。
そして利他主義とは「統合失調症」である。
自閉症患者は悟性に基づく判断が出来ない(他者の気持ちが理解出来ない:悟性がない)為に究極的な利己主義に陥る。それを回避する為に“法による統制”が必要となる。
統合失調症患者は理性に基づく判断が出来ない為に究極的には法が認識出来ない。しかし妄想(悟性)が良い方向に働けば(他者の気持ちを観察する)利他主義を観測出来る。
何故家族だけ利己主義的思考から外れるかと言えば心理的構造が似通っている為に高い悟性能力が要求されないからである。
(逆を言えば自閉症患者は家族の気持ちも理解出来ないという事でもある。)
「私は嘘つきである」という命題は“自己言及のパラドックス”と言って、私が嘘つきなら嘘つきでは無くなり、私が正直であれば嘘つきでは無くなるという矛盾した答えが出てくる命題である。
この問題は理性では答えが出ない。
悟性を用いて私(主体)を観察して、私(主体)の気持ちを考えて(利他主義)答えを出す必要がある。
私(主体)の気持ちを考える行為が“非認知領域“に対するアプローチであり、悟性はこの領域の認識能力を拡張する。