見出し画像

スティーヴン・オカザキ「MIFUNE THE LAST SAMURAI」

「後年の三船敏郎は「三船敏郎」を演じていた」。
終盤における土屋嘉男の言葉に、スターの業と呼ぶにはあまりに物悲しい悲劇が集約されていたようで沈痛な面持ちになってしまう。
スターとしての図像がある個人を越えて銀幕へ磔刑のように張り付けられ、人間として、しかし俳優として、それを背負い応えねばならない責任と重圧が、人間三船敏郎も、俳優三船敏郎をも殺してしまったかのような晩年の醜聞、衰退。
元来人間臭く繊細な演技にも綺羅星の如く光る演技を見せていたはずの三船が、後年、豪快、豪胆な英傑たる「世界のミフネ」を求められるままに、自社と従業員を守るために、演じ続けていたか、その艱難辛苦、まさに「本意を聞いてもらえない」三船の苦しみは想像に難くない。
黒澤とともに作り上げたスターの図像としての「三船敏郎」。しかしまたその図像によって三船敏郎は殺されたのだろう。これもまた土屋嘉男による「我慢の人」という評が最も近くで「黒澤の三船」を見てきた生き証人の言葉として重く響く。
全ての役者に演技指導をしていた完全主義者黒澤が三船だけには演技指導をしなかったという逸話は、三船の役者として別格な存在感、演技、憑依を物語る美談のように写るけれど、その実「指示されない」ことで背負う作品の重さ、自ら生み出さねばならない労はいかほどのものだったか、これは想像さえ及ばない俳優、スターの心的(神的)、文字通り神憑った世界の葛藤と苦悩の連続だったに相違無い。
中国での少年時代。大戦と軍への入隊。戦時中の軍隊生活と理不尽。東宝での採用。黒澤、志村喬との出会いと成功。スターとなってからの黄金時代。その裏の重圧。黒澤との決別。世界のミフネとして、三船プロ社長としての日々。大衆イメージを守り、社員を守っていた苦難と苦闘。そして不倫スキャンダル。晩年の孤独。
スティーヴン・オカザキは、まさに映画に生き映画に殺されたような映画スター三船の人生を、多くの証言者の言葉からさながら一つの映画、スターの栄枯盛衰物語のように紡ぎ、語り直す。

いいなと思ったら応援しよう!