オードレイ・ディヴァン「エマニュエル」(エマニエル・アルサン原作)
あまりに素晴らしい。真実の「セックス」の所在について。
もちろんセックスというのはそれそのもの行為であり、なおかつ、己自身から発するはずの人間的欲求の一端としての象徴だ。すなわちいかに彼女は最高の「自分」を手に入れたか。
ノエミ・メルランが最初のセックスで鏡越しに見せる表情と、最後のセックスで直接こちらへ見せつける恍惚の表情。そしてささやき。それはとてもとても純粋な愛の物語となる。
愛すればこそ幸福なセックスができるという古典的快楽感とも違う。他人にいかに関心を持てるかということなのだといいかえてもいい。
鍵のかかっていない扉を開けてくる者は何ももたらさない。扉を閉じて鍵もかけているのに開けてこようとするものなど論外だ。扉が開かれてることを暗示させているのにあえてその扉を開けてこないものにこそ心は赴くのだろうか。(そんな男性などゴーストのようなものかもしれないという示唆が大いなる皮肉だ)。
関心。好奇心。人が人に関わるということに介在する快楽の本質と欲望の主体性の問題をゆっくり鋭く突きながら抉り取る。
それは仕事、恋愛、一時の浮気、人間関係というパワーゲームと、パワーゲームを仕向けてくるように人の欲望を促す他人たち、男どもが作った社会、経済、政治、恋愛、人生システムによる、個々人の夢、欲望と希望を搾取してまかり通っている世界で、いかにそのシステムに抗い永らえるか、どのようにそのシステムから脱して生きるかという、(物質的に、精神的に)いつだって他人を必要とする不完全な自分(私たち)という「私」自身の主体性の回復についての物語なのだ。