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耳が痛いけど大切なこと | 『ロバート・ツルッパゲとの対話』

写真家の幡野広志さんが『ロバート・ツルッパゲとの対話』をおすすめされていたので気になって読んでみた。幡野さんいわくこの本を読めば、人との距離感のとり方を学べるのだとか。


国内外で活躍を続ける写真家・アートディレクターのワタナベアニ氏による初著書。海外と国内とを行き来する著者による、この国の「哲学」について。「自分がしたいことを考えず、与えられたことだけをこなして自分を騙してしまう。これが哲学の不在です」と、著者はそう語ります。私達はいま、自分に正直に生きているでしょうか。“大人の幼稚さを通過して、もう一度純粋な子どもの目を取り戻"したい、そんなあなたへこの本を贈ります。哲学の世界へようこそ。
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下記に印象に残った部分と感想を書いていますが、幡野さんが言っていたことと全然関係ないところを抜粋してます。印象に残った部分がたくさんあって、拾いきれないので今回は2箇所だけ。


大勢の声に紛れていると、自分が必要とされる価値がゼロに近くなる

何が定義であり、何が正解か。それをあまりよく考えずに、「多数決の正解」で、多くのことをごまかしていないでしょうか。みんなが言うから。昔からそうだから。それが普通だから。多数派の陣営に無自覚に荷担するのは、何も考えていないことと同じです。大勢の声に紛れてしまうと生きていくのはラクなんですが、自分が必要とされる価値は限りなく透明に近いゼロになります。

考えるって正直めんどくさい。考えるのが嫌になり、一旦逃避するなんてこと何度もしてます。でも結局また考える作業に戻ってくる。なんだかんだ、考えないで生きるのは虚しくてつまらない。

矛盾してるけど人間に生まれたからには多少は考えて生きていたい。そんなこと言ってるけど、考え始めたのここ2年です。自分の価値がゼロに近くなるのは、想像しただけで怖いなぁ。

新しいことは小さな声で語られる

正しいこと、新しいこと、今まで誰も知らなかったことは、狭い部屋の中で少人数が小さな声で語ります。声が小さく人数が少ないから存在しない、間違っている、のではありません。大声で叫びたがる人は、もう価値が決まっている当たり障りのない、「誰もが知っている過去」をただ復唱しているだけなのです。

ここの部分にハッとさせられた。いつも新しいことは少人数の意見から始まる。周りを見渡しても他に自分と同じ意見の人が見当たらない、なんてこと時々ある。そういう時に限って「自分の意見は間違っている」とか「周りと同じじゃなきゃダメだ」と思ってしまう。

またそれは自分のアイデンティティを脅かすことにも関わるってくる。周りに同じ意見がいなくても意見を持ち続け、適切な場所で発信すれば自分の意見に耳を傾けてくれる人は必ずいる。


耳の痛い言葉しか引用してないけど、ユーモアもあり、クスッと笑ってしまう本だ。よく人を見てるから視点が鋭いです。写真家さんの文章ってやっぱりいいですね。




本って1周だけ読んで、頭に入ってきますか? 私は全然入ってこないタイプです。時間経つと忘れちゃうんですよね。本に限らず、漫画も映画も。

印象に残ったところはできるだけ残さなくては。

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