私の死生観
私が死を考えるきっかけとなったのは20代後半で見た叔母の死でした。叔母は40代で乳癌を患い、回復したものの、8年後に転移し帰らぬ人となってしまいました。叔母の最期は壮絶なものでした。激痛に震え、ベッドの手すりを力の限り握りしめ、モルヒネを打たれながら旅立ってゆきました。
癌ということは最後まで知らされていませんでした。でも、病気のことは聞かず弱音もはきませんでした。最後まで生きようと必死でした。たった一人残される娘のために。
叔母の死の前後に、祖母、叔母、伯母、伯父と亡くなってゆきましたが、みんな天寿を全うすることはできませんでした。
私の両親はともに癌家系です。50代で亡くなる人も多くいます。そんな私もその年代になりました。死は遠い先の話ではなく身近なものです。
そんな中、2011年にある本と出会います。
「ブッダの人と思想」 中村元・田辺祥二
この本から多くのことを学び、気付きました。
ブッダについてはこちらをどうぞ。
もともと理系の技術者であった私は宗教には縁のない人間でした。それに絶対的なものを信じません。「信じる者は救われる」は私には通用しません。ですから、とくに一神教とは相性が良くありません。ただ、ブッダの思想だけは相性が良かったのです。ブッダは神様ではありません。覚られた一人の人間として、信じるというより尊敬できるのです。科学とブッダの相性の良さは、
「科学するブッダ」 佐々木 閑
の中で詳しく述べられています。
まさに、先生のおっしゃる通りブッダの原始の教えは思想なのです。原始のブッダの教えは古い仏典、スッタニパータ、ダンマパダなどに収められています。大愚和尚さんの説法の中にもたまに出てきます。
「ブッダのことば」 中村 元 訳 (スッタニパータ)
「ブッダの真理のことば 感興のことば」 中村 元 訳
(ダンマパダ、ウダーナヴァルガ)
大愚和尚さんの動画サイトです。
大愚和尚さんはこの本もよく引用されています。
私にとって生死とは価値としては同じものです。つまり同価。
生があって死がある。取り立てて死を怖がったりするものではありません。
死んだ後の世界?そんなものはいくら考えても分かりません。死んだときにみんな分かるはずです。一度は死ぬのですから。
以前、立花隆の臨死体験の番組や本を散々調べましたが、結局、死後の世界は脳が創った幻影なのか、見えない世界があるのか、明確な答えは出ませんでした。しかしながら、科学的に証明できないことが、無いことにはなりません。無いを証明することは難しいのです。
「証言・臨死体験」 立花 隆
死んだら火葬されて灰になります。それを骨壺に入れられるには嫌です。私は海に還ります。自然に還りたい。そしてこの星の一部になりたいのです。(散骨だけは息子に頼んであります。)
やがて星は壊れて私は星屑のカケラになります。そしてこのカケラは再び集まって星になってまた輝きます。私にとっての輪廻はそういう大きな物質循環の中にあります。
この物質と光を結び付けたのはアインシュタインですが、これを話し出すとちょっとでは終わらないのでまた別の機会にします。
いずれにしても、物事を考えるときミクロ的な視点とマクロ的な視点を併せ持つことを説いてくれたのはアインシュタイン博士です。
星屑のカケラということばは「コスモス」で有名な天文学者カール・セーガンが使った言葉です。
「人はなぜエセ科学に騙されるのか(上)」 カール・セーガン
佐治晴夫さんの本にも出ています。
「この星で生きる理由 ー過去は新しく、未来はなつかしくー」 佐治晴夫
佐治さんの本は最近になって友達から教えられたものですが、そんな人知らないというと驚いていました。読んでみて分かったのですが、自分と考え方がとてもよく似ていてびっくりしました。こんなマイナーな本を探し出してきた友達はいったい何者なのでしょうか。一体どうやって見つけたのでしょう。
生きとし生けるものはみな同じなんです。このような私の死生観は家族は誰も知りません。話したこともありません。でも、一人だけ知ってる人がいます。共感できるよき理解者はこの世界に一人いれば十分です。
ここに書いた、宗教観、死生観は私個人の考え方であり、他の考えを否定するものではありません。ブッダの教えは多様性を認めるものです。他を攻撃したり、排除することはありません。ここにブッダの教えの偉大さの一つがうかがえます。
長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。今日一日がより良い気づきの一日となりますように。合掌。