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[読書記録] ガザ 日本人外交官が見たイスラエルとパレスチナ (幻冬舎新書)


ガザ、イスラエルに駐在していた外交官の中川浩一さんが間近で見てきたイスラエルとパレスチナの埋まることのない溝。

テレビ悲惨なニュースを目にするたび、何でこんなことになってしまったのだっけ?ともやもやするのでオーディブルで本書を聞いてみました。


本書での気づき
2国の長年解決しない混沌の原因は、

全てイギリスの三枚舌のせい。


その1 アラブの武力をくれたら、アラブ人の国を作っていいよ。
1914-1919第一次世界大戦のときに、イギリスはトルコへの進出の足がかりにアラブ人に武装蜂起を呼びかけ。
その対価としてフサインマクマホン協定でパレスチナ独立を約束。

その2 ユダヤ人の資金をくれたら、ユダヤ人の国を作っていいよ。
そして莫大な戦費が必要だったのでユダヤ人の豪商たちに資金援助を求めた。
その見返りにユダヤ人による国家の設立を認めるバルフォア宣言を発出。

その3 欧州関係諸国とも、中東の国を分けっこするよ。
さらにフランスとロシアとともに中東地域の分割を協議。サイクスピコ協定を締結。


…イギリスによるこの三枚舌外交が対立の大きな原因になった。

結果的に、1947年、アラブ人とユダヤ人がパレスチナを分割することが国連で採択された。そしてユダヤ人に1/3以上の土地が与えられることになった。
しかしその後1948年、イスラエルはパレスチナ国家に入植し、ユダヤ人国家としてイスラエルを建国。パレスチナを追いやったのである。

イギリスは内戦を鎮圧することができなかったし、その後アメリカのクリントン大統領が積極的にパレスチナ、イスラエル問題の解決を図ったが、結局解決には至らなかった。

当時のアラファト議長は、何度も和平解決があったのに頑としてパレスチナの権利を譲らなかったことから、国際社会から非難の的となった。

だが、ここでアラファトが折れて妥協案を飲んでしまっていたら、歴史の一ページにアラファトはパレスチナを売ったとの記録が残ったことだろう。それはアラファトが、そしてパレスチナ民衆が一番望まなかったことなのである。

難民問題だけでなく、エルサレムというキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地の取り合いという複雑かつ妥協ができない問題が絡み合ったパレスチナ、イスラエル問題。

平和的な解決ができる日は来るのだろうか。

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