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シネマ歌舞伎『ぢいさんばあさん』を観て

「歌舞伎が落語の勉強になる」
というのはもう噺家全員の共通認識としてあるのだけれど、
庶民の自分が頻繁に観に行くには、歌舞伎はちょっとお高い。
二ツ目が一番勉強盛りだというのに、だ。

で、どうにか安価で歌舞伎を観る方法はないかな? ってんで見つけたのが『シネマ歌舞伎』というやつ。
映画館で観る、映像の歌舞伎。
一般2200円。(チケット3枚セットだと1枚1900円)
安ぃ。

もっと安く観ようと思ったら、他にも色々手はあって、墨田区立図書館なんかは歌舞伎のDVDが置いてあって好きに観ることができるのだけれど、
まぁ経験上、タダで観るものはあんまり入ってこない。
観方も雑で、私なんかは1.25倍速で観たりしてた。(多分意味ない)

とはいえ「シネマ歌舞伎? 生の役者には勝てないだろう」とお思いの方もいるだろう。
いやいや全然そんなこともなく。
まずどの位置からでも役者の表情がはっきりと見えるし、舞台転換の『待ち』はカットされているので集中力も切れない。
なにより、人気がないのか知られてないのか、周りにほとんど人が居ない。
歌舞伎座の二階席より圧倒的に良い。(個人の感想)

そんなわけで去年から毎月シネマ歌舞伎を観に行っていて、
毎回このnoteにも↓のような感じで

ザックリ感想を書いていたのだけれど、ちゃんと咀嚼しようと思って今年から『感想文』を書くことにした。(続かないかもしれない)

今月のシネマ歌舞伎は『ぢいさんばあさん』。

ある事件をきっかけに離れ離れになった夫婦が37年ぶりに再会。
37年ぶりともなると二人ともぢいさんばあさんになっているのだけれども心はあの頃のまま──

というお話で、繊細な良さが散りばめられている。
老けて互いが互いに気付けない、とか、桜の木の短冊が二人とも老眼で読めない、とか、座布団の位置だとか、段差が上りづらいとか、なんとなく『微笑ましい』とか『可愛らしい』とか『奥ゆかしい』といったもの。
再会の感動も、子供を亡くした悲しみも、剥き出しにするには体が追いつかないといった、このちょっとした『哀愁』のようなもの。
100出し切るんじゃなくて30とか40くらいの良さ。
機微。
これが良い。
分かる。
ただこれ、頭では理解しているのだけれど、心から「はー、いいなぁ」と思うには私に人生経験が足りなさ過ぎると思った。
例えばこれが37年ぶりでなく10年ぶりくらいで、夫婦が自分の歳と近ければ多分私は泣いている。
自分で言うのもなんだけど、感受性は豊かな方で、何にでも感情移入して涙が出る私だ。
けれども、この老夫婦には感情移入できなかった。
だってまだ若くて腰も曲がっていないし、記憶もはっきりいている。
だから理解はできるけど自分の事のようには思えない。
これまで私の家族に祖父母がいたことがない、そしてそこまで年配の方と話したことがないというのも関係あるかもしれない。
一方で、若い時分の伊織とるんが、「蚊に刺されたから見てください」「黒くなっておる」「これはホクロです」と身内の目も憚らずイチャイチャしてるのは素直に笑えた。

伊織が京都で嫌な奴から30両を借りて、130両で刀を買ったという。
これ、現代だと何かな? なんて事を観ながら考えた。
『亭主が妻に黙って、借金した上に何百万も使って車をカスタム』した感じだろうか。
あるいは『限定スニーカーとかトレーディングカードの購入』。
まあ厳密には違うのだろうけど、そう考えてしまって伊織の株が爆下がりした。
しまいにゃ金を借りた相手斬っちゃうし。
37年会えなくなったのオメェのせいじゃねぇか!って。
この辺も感情移入できないポイントかもしれない。

なんにせよ、仁左衛門さんも玉三郎さんも素晴らしいのだけれど、今『ぢいさんばあさん』のような繊細な良さを表現する引き出しは私にはない。
あっても若さが邪魔をする。
けどそれらを自覚できている、良さの正体を知っているので、言ってみればこれは伸び代があるということではなかろうか。
あと10年から20年もすれば、もう一段階上がれる気がする。
【笠碁】とか【夜鷹そば屋】とか、抜群によくなるんじゃなかろうか。
自分でも、お客さんからも「歳をとるのが楽しみな噺家」と思ってもらいたい。

が、今37歳。
夫婦の亡くなった子供が生きていたら37歳で、
「男盛りだな」
と伊織が言うように、私は今絶賛男盛り中。
今も見頃、ということはお伝えしておく。

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