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ご縁と運で紡いできた、大学生活5年間
こんにちは。この春、2024年3月に釧路公立大学を卒業した手塚亜佑です。
私ごとですが、4月から東京のマーケティング会社で働くことになりました!お世話になった方々、それぞれにご連絡ができず申し訳ありません。
釧路公立大学に入学してから、とんでもないくらい濃い5年間を過ごしたので、すべてを振り返ることは記事1本では書ききれないのですが、思いの丈や気持ちの変化、出来事の振り返りを学年ごとでまとめてみたので、最後まで読んでいただけるととても嬉しいです。
1年生:バイト三昧の日々。「夢中になれること」を探す。
大学受験期間、当時の私は「留学制度が充実している」という理由で小樽商科大学を目指してしいました。
その大学しか入る気がない上に、センター試験でやらかした私に、担任の先生が第二志望校としての受験を進めてくれたのが「釧路公立大学」。とりあえずパンフレットを取り寄せ、「都会より地方の方が好きだし、ここもありかも」なんて、センター試験の結果を悪かったことを少しずつ前向きに捉え始めました。
試験日に初めてきた釧路。その日は十勝晴れならぬ釧路晴れの快晴。
大学に入ってすぐ、キャリア形成の授業がありました。当時の私は大学受験を終えた後の燃え尽き症候群で、大好きだった英語も受験期ほど続けられず、とりあえず就活に有利な資格を取りまくろうと本や参考書を取り寄せ学習するも、長続きしなかったり、不合格だったり。とはいえ、何か目標や夢中になることに取り組まない私のこと、私は大嫌い。
4月末に始めたお寿司屋さんのホールバイトだけがやりがいになっていました。
2年生:「デザイン」との出会い。釧路愛にきづく
コロナ禍になり、留学が自分次第でなく、「世間的に不可能になる」ことを思い知りました。
資格勉強も続かないし、いつ終息するかわからないコロナがあるのに、英語を取得しても観光業やサービス業を仕事にするのは就職のときにリスクがあるように感じ、コロナ禍になったからこそできた(授業の停止や課題提出のみの授業など)時間を利用し、キャリアを考え始めました。
そのときに出会った本↓
印象的だったのは、「やりたいこと=好きなこと×得意なこと」。
小さい頃からものづくりが好きでよく友達にイラストや手芸品をプレゼントしたり、小学校の頃、毎年何かしらのコンクールに受賞していたり、母が芸術系の大学卒で(私が生まれる前はデザイナーだったことはすっかり忘れてた…笑)少しは芸術センス的な才能?血を引き継いでるのではないかと思う瞬間が何度かあったため、「人や社会のために考えながらつくる」職業であるデザイナーを目指すことに決めました。
お寿司屋さんのバイトは秋まで続けました。コロナ禍でバイト禁止になった専門学生や高校生の代わりに、私が准社員並み(?)に働き、オンラインのデザインスクール代を稼ぎました。
(な○やか亭でのバイトはハードだったけど、とても楽しく働かせてもらいました🍣)
お世話になったデザインスクール↓
その当時、お世話になったデザインの先生、ムラケン先生に「無償でもいいから、実践的なデザインに取り組むといいよ」「興味のあるデザイナーさんのお話を聞きに行ってみるといいよ」とアドバイスを受け、行動に移す勇気をもらったことで、私の人生が大きく変わります。
3年生:なんでもやってみる。出会いとの繋がり・悔しさ・決意
私は実を言うと、いつから「ローカル」に興味を持ち始めたのかは分かりません。しかし、なんとなく考えられる理由が2つあります。
①旭川出身と話したとき、「何がある」「どこが魅力か」を当時は言えなかったこと。
②釧路生まれ釧路育ちの同年代に「釧路なんか何もない」と言われたことが悔しかったこと。
私は13年間、旭川に住んでいましたが、当時魅力を伝えることはできないにも関わらず、「釧路には良さがたくさんあるのに、知らないなんてもったいない」とばかり思っていました。まちづくりに携わることで自分の地元の魅力を知りつつ、釧路の魅力を伝えることをやっていきたいと思ったのだと思います。
また、「ローカル×デザイン」特有のあたたかさがとても好きで憧れていたため、釧路のデザイナーさん4人にお話を聞きました。アポをとった4人中4人とも真摯にお話に応じてくれて、そのつながりや出会いによって、生まれた価値観や身についた知識への影響が大きいと思っています。(今でもとても感謝しています…)
そんな中、当時知り合った方にローカル系のイベントを紹介され、出会ったのはくしろ元町青年団のみなさん。デザイン初学者の私に「一緒にフリーペーパーを作ろう!」とお声がけいただき半年間かけて制作しました!
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こちらで無料でご覧いただけます(今見たら直したいところばかりですがお手柔らかに…)↓
http://946motomachi.blog.jp/%E5%85%83%E7%94%BA%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2vol_1_web%E7%94%A8.pdf
そしてその年、新メンバーを募集していた市民団体「クスろ」。1年ほど所属させてもらって、デザイン周りや場の運営のお手伝いをしていました。
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4月にはKnows(ノース)との出会い。当時代表の金子新太郎のnoteを読み、なんて素敵なんだ!と共感し、記事にハートをつけXのアカウントをフォローをすると、なんとDMが!当時いたメンバーは私以外の北大生4人。ロゴやディレクションを行い、デザイン担当として加入しました。
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創刊号はこちらでご覧いただけます↓
Knowsの創刊号を出す前の4ヶ月間では夜な夜な作業通話をして制作したり、クラファンを成功させたり、Tug-Bの一角をお借りして合宿を行ったり。
今でもいろんなことに夢中になり、会うたびに夢ややりたいことを熱く語ってくれるメンバーには、刺激をもらっていて、とても感謝しています。
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朝まで作業していたのがなつかしい
6月にはくしラボの結成。まちづくりを「じぶんごと」のように捉え、どうやったら釧路を、釧路駅前の通り「北大通」を好きになってもらえるかを考えるきっかけになりました。立ち上げに携わってくれた相原さんや清水さん、当時、釧路教育大のきよみとさやかにはほんとに感謝しています。
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(今はなくなってしまった「喫茶マリーギャルソン」にて)
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10月からSocial Change Lab合同会社に所属。当時、有償デザインの経験がほぼなかった私を雇用してくれた代表の種市くん。
社内のブランディングから受注案件のデザインまで、色々やらせてもらいました。
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そして、下記は釧路のデザイナーさん2人に教えてもらったイベント。
11月に開催された「コトバワークショップ」の参加。同年代のデザイナー志望やコトバが好きな学生に会う機会がなかった私は、とても刺激的な日でした。このイベントでずっとお会いしてみたくて初めてお会いできた方が、講師や運営に携わっているコピーライター&ディレクターの池端さん。池端さんには、その後もインターンシップやコンペのメンター、就活相談などほんと幅広くお世話になりました。私のロールモデル的存在です…!✨
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さらに、私の大きな転機となったのが「札幌アートディレクターズクラブ」というデザイナーたちが集まるコミュニティのコンペティションのボランティアとしての参加。
これは個人的な見解ですが、よくみる商業的なデザインというよりは「新しい表現方法」の発表・評価の場のように感じたため、アート性や初めてみるデザイン、そして釧路では体験できないような刺激的なデザインが多くありました。
ここで私は「良いデザインとは?」という疑問が浮かび、かつ自分のデザインにものすごく自信がなくなり(正直、納得感のあるデザインを作り続けられている自信がなかった)、このままの実力で進路を選べる立場にないことを実感。そのため、休学を決意し、道内で情報やデザインが身近に感じられる札幌に住処を移し、ことにしました。
休学:個の確立・社会を知る。1人でやることの限界を感じる
休学して1ヶ月後、私は個人としての仕事にも本腰を入れるためにも開業届を提出しました。フリーランス生活の始まりです。この年も知り合いづてに色々声がけいただいて、さまざまなジャンルのお仕事をいただいていました。
中でも印象深いのは、「港まちベース 946BANYA」のブランディングデザイン。
前年にお話を伺った釧路のデザイナーさんの1人だったちほっしゅさんのもとで、勉強させてもらいながらお手伝いをさせてもらっていたところ、「釧路の共創スペースのデザインをやらないか」とお声がけいただきました。札幌にいつつも大好きな釧路の、しかもこんなにもいろんなひとに使っていただける大きな場所のデザインを任せていただいたことはとても嬉しかったです。
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そして11月、フリーランスとして、学生デザイナーとしての自分に限界を感じ始めました。フリーランスは自由で仕事をある意味選べて自分のペースでできるものの、成長を感じる機会が少なく、メンター的存在もいない。そもそも、どこを目指しているのかも実現していきたい未来もみえない。
そこで、やはり卒業後はデザイナーとして会社に入社することを決めました。
4年生:アイデンティティを捨てる。原点を辿る。弱みをビジョンに。
フリーランスの選択肢はやめたものの、就活の道を選ぶも道内か東京かで彷徨っていました。
気づけば、ありがたいことに常にやることがある状態で(ある意味、仕事が遅い…)、目の前のことに追われ、自分が何のために生きていて誰のために生きているのか、生きがいをなくしていて、秋には心理的に調子を崩していました。
その際に一度全てを手放し、自分と向き合い、ゆとりのある時間をつくることで回復し、やりたいことを考え直した上、東京での就活を始めました。理由は3つ。
①周りのお世話になっていた多くの人たちが「一回は東京に行きなよ」「北海道は東京に比べて〜」と言う理由が知りたかったから。
②また高校から憧れていた留学をデザインを交えて叶えたい、そのステップのために上京したいと思ったから。
③東京のビジネス、東京のデザイン、技術の最先端や世の中の仕組みがよく見れる日本の大都市に住んでみたかったから。
出遅れ就活を始め4ヶ月目の3月、ようやく東京に限らず複数の企業に内定をいただき、今回ご縁を感じた東京のマーケティング会社に入社します。デザインで評価していただいたけれど、総合職での採用なので、クリエイティブ部署に所属できるかも分かりません。(5月に仮配属なのでドキドキです…!)
なぜ私がその会社を選んだのか、それは私がなりたい姿に1番近づけると感じたからです。
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心理的にストレスがあったのは限られた選択肢しか選べなかったことや、人との価値観の共有ができないことに難しさや劣等感を覚えたから。だからこそ、だれもがお互いの価値観を認め合い、選択肢を広げられるような人生を歩める人を増やしたいと思えるようになりました。
そして、人を知り社会を知り人々のニーズに応えられるような、伝えたいことが伝わるデザインをやりたい、さらにビジュアルのデザインに限らず、社会を、目に見えないものをつくる、広義の意味でのデザイナーになりたいと思っています。
選んだ道を正解にすること
私は良くも悪くも「反省はするけど、後悔はしない」タイプ。それはどんなことでも大抵プラスに捉えられる考え方ができるから。
休学を経て、学校ではない、ソーシャルかつパーソナルな部分に身を置きつつ、いろんなコミュニティでのデザインを経験した。その経験があるからこそ、自分の向き不向きや適性、自分の目指す世界ややりたいことを深く知り、自分と向き合うことができたと思います。
私は数字的や大きな目標のような「○○のために休学をする!」といって休学したわけではないけど、あの1年間があってこそ、自己理解を深められたし、最終的に東京に行く判断ができました。
第二志望だった釧路公立大学に入学した甲斐があったし、そこでしかできないこと、その地の学生だからこそできることに加え、多くの皆さんが挑戦する機会を与えてくれたこと、本当に心から感謝しています。
正直、私は自己管理能力が乏しいし、スケジュール管理も下手で、やりたい仕事にはすぐ飛びついてしまって、いろんな人に迷惑をかけてしまったと思います。
今回記事内に挙げられなかった方にも、本当に一人一人お礼を言いたいくらいです。こんな私にチャンスを、出会いをもたらしてくれて、皆さんありがとうございました。
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これから数年もどうなるかわかりません。北海道に戻る機会があるかもしれないし、ないかもしれない。
ただ離れていても、私は釧路、そして北海道という地はもちろん、北海道の人たちも大好きなので、できる時があればお声がけいただけると嬉しいです!!そのときは成長した姿をお見せできますように…!
新卒1年目でやること学ぶこと、そして個人的に勉強したいことたくさんなので、まずは目まぐるしい情報まみれの暮らしや環境に慣れていきたいと思います!
今更ですが、今までの作品をポートフォリオにしました↓全部人づて案件な上、私にとって愛ある作品たちです…!(感謝…!)
今後はX(旧Twitter)やFacebookでは個人の活動は表向きに出しにくいかと思いますが、noteで日々思ったこと、考えたことなどアウトプットして行く予定です!
それでは、北海道の皆さん、行ってきます✋
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(Knowsでお世話になったカメラマン!いつも素敵な写真ありがとう✨)