自己の内面を見つめるということ:瞑想することの本当の意味

 人間の感覚器官はすべて身体の外に向けられている。自分の身体の中のありさまを直接観測するセンサーはない。
 だから、目をつぶると暗闇が見えるのである。

 じっとしていると、血管の脈動を感じる。
 こわばった筋肉が自ずからほぐれていく。
 背と腰の骨ひとつひとつが、あるべきつながり方をとりもどしていく。
 そうしてやがて何も感じなくなる。

 それは虚無ではない。生命力の充溢した暗闇である。
 何の刺激も受けていないとき、私たちは快不快の区別さえ感じることがない。
 古くから仏教の言う、「蝋燭の火を吹き消した後の状態」とは、このような静かな暗闇を指すのであろう。

 所感覚と自我のもたらすあわただしい混沌から己を切り離し、体内の暗い静穏をわが物とする。
 それが悟りと呼ばれる状態であろうと思う。

 神とか大日如来とか、全宇宙が己の身体と等しい存在が、目をつぶるとき、世界はそのように暗い静穏に満ちているだろう。
 それを間近に実感することが「見性成仏」と呼ばれるものの本体であろうと信じる。
 
 

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