埼玉を横断する旅③~その5(完結編)
埼玉横断シリーズ③、武蔵野線で埼玉を横断していく旅。今回で最終回でございます。
皆様が読んでくださった御蔭で、「埼玉を横断する③~その3」のビュー数が、あの忌まわしき変態記事「全裸とガーターベルト」を上回りそうでした。
以来、数か月を経て、わずかですがついに「埼玉を横断する③~その3」のビュー数が747に! 「全裸とガーターベルト」を抜く勢いだったのですが、
なぜか、全裸とガーターベルトもわずかずつ伸びて、結局変態どもの謎の戯れ(20人の全裸の男とガーターベルトだけつけた男が警察に通報される)に遠く及びませんでした。彼ら、捕まったのかな。まさか、そのまま伝説として無かったことになったか、公権力に抹消されたか。後日談をネットで調べているのですが、不明です。
なお、noteの「2023年 ふりかえり」記事で今年をふりかえっても、多くの他のnoterさんたちと比べて全く読まれてないのに、地味に落ちこんでおり、最終回のこの「埼玉を横断する③~その5」がついに年をまたいでしまいました。
あ、はい。ただの言い訳です。
多大なビュー数とスキ数にフォロワー数を持つ皆様に失礼なくらい、僕なんか蟻が歩くくらいのショボい数ですが、しょせん、ただの趣味。また空元気を空回りさせながら埼玉を描いていきたいと思います。うぇ~い!!皆様お久しぶリ~!!
てことで。これまで、東所沢から新座に朝霞、浦和を通過し、越谷を描写してきたところで終わりました。
埼玉を横断してきました!
みなさんには見えますか、コバトンの腰がフリフリと、北の辺境には秩父鉄道、中央は千葉と埼玉の中心である大宮を結ぶ東武野田アーバンパークンクンライン。
そして南部で東京に睨みをきかせる武蔵野線!
武蔵野線はまさに東京と千葉と埼玉をつなぐ大動脈!!
南越谷→新越谷で東武伊勢崎線にて北千住に浅草、半蔵門線直通で錦糸町・墨田区と江東区から都心へつながるライン!
東川口で埼玉高速鉄道にて赤羽岩淵から南北線直通で目黒~横浜方面のライン!
南浦和から湘南新宿ラインやらで上野や池袋を経て、神奈川や静岡につながるライン!
そもそも、始発終点は西の府中本町では南武線で川崎方面に向かい、東の西船橋では総武線や京葉線にいたるライン!
埼玉のシラコバトの化身であるコバトンが、縦横無尽にお尻を振りながら、千葉と埼玉と東京、さらには神奈川につなげるのでした。
そんな武蔵野線、そして僕が初めて長崎の田舎から都内に移った拠点である越谷などの東武地区。
僕が初めて人間関係やらの事情で、越谷方面の東武から、飯能方面の西武へ引っ越すとき。
毎夜、武蔵野線で新秋津まで仕事が終わった後の逢瀬を夢見ながら彼女の家を目指していたことでした。
某サッカーチームサポーターの集団が、赤い血に染まった歴史を持つ共産党のような何か赤いフラッグをはためかせ、車内にて絶叫していたのにうんざりしていたのは良い思い出でした。
また、酔っ払いが車両入口近くの手すりにて、目の前に座って寝ていた男性に対し、口からキラキラしたデキソコナイのマーライオンのような何かを盛大に吐いてぶっかけていたのを見たのも良い思い出でした。
そんな僕のカビが生えたような過去の青春の臭いもする武蔵野線、「金金先生栄華の夢」のごとき儚くチクチクするような、桑田佳祐の「遠い街角」でも聞こえてきそうな僕の故郷の東武地区。
特に何の感情も無く、淡々と埼玉を描写するために再訪問しました。
前回の越谷から、南越谷駅へGO!
前回は北越谷から越谷を散歩することで、日光街道の宿場町であった越ケ谷宿の跡を、わずかですがアニメ「小林さんちのメイドラゴン」の聖地(越谷駅周辺ですが)を交えながら描きました。
北越谷駅からスーパーマルサン方面を歩き、越谷天狗ラーメンか迷ったけど結局は蕎麦を食べて。(蕎麦屋のテレビにて、今の職場があり明日向かうはずの小田急線の成城学園前駅で鉄パイプ爆弾をしこみナイフで女性を殺めようとしたテロリストまがいの人が逮捕された事件が起きたのを知り、口パクパクとなる)
久伊豆神社を通り、越ケ谷宿へ向かい、埼玉の名産品を買い物して越谷市役所を経て越谷駅に向かったのが前回の内容でした。
東武伊勢崎線の一駅となり新越谷駅を出ると、武蔵野線の南越谷駅へ。
やっと武蔵野線です! 前置きが長くていつものことですが、すいませんでした!
新越谷(南越谷)名物、阿波踊りを踊りながら、南越谷駅に向かいましょう!
ただ、実際は多くの乗り換え客が殺到しますので、心の中で踊ってください。エライやっちゃエライやっちゃヨイヨイヨイ!
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損!!
どうしても踊りたいのなら、呑み屋も多いし迷惑にならない限りで踊っても良いでしょう!乗り換えを急ぐやや殺気を帯びた人々に殴られないように気をつけて!!!
越谷レイクタウンの今昔
南越谷駅から一駅となり、2008年に新駅「越谷レイクタウン」駅が開通しました。これが無い時代は、隣の吉川駅まで「長ぇなぁ」と思ってましたが、今や乗り換えではない駅としては一日平均乗車人員数は武蔵野線内一位へ。
大型ショッピングモール「イオンレイクタウン」の賜物でしょう。
駅に立つと目立つのは、右手にイオンモール、左手に新興住宅街、目の前の湖こと、大相模調節池。
すぐ北に中川と元荒川が合流する地点があり、西には綾瀬川がある。
江戸川と荒川に囲まれた江戸川区というデルタ地帯の北にある、東武地区は数多くの水塚という水害避難場所が各地に作られたほどの水にあふれた地域だ。
レイクタウンは治水とニュータウン建設の構想によって開かれた場所である。大相模調節池は2014年に成立、2015年の台風による関東・東北豪雨において越谷市は床下浸水584軒・床上浸水175軒の被害で「せんげん台駅」周辺は1mほどの冠水も見られたが、レイクタウンはほとんどの被害を出さなかった。
巨大なショッピングモール。
広い公園、密集した新興住宅街。多くの商店に越谷南高校などの学校もあり、親子連れ、学生さんたち、カップル、子どもたちなどの賑わいにあふれはじめたニュータウン。
しかし、実は調節池の場所、まさにレイクタウン駅の目の前は以前「越谷市斎場」があり、越谷市と松伏町と吉川市の人々の葬式と火葬が行われたお別れの場所でもあった。
おっと、これは知らなくても良い情報なのでしょうか。
まあ、ホラー要素は置いといて。要するに市街地から離れ人里まばらな農村地域だったと思われる場所。
越谷キャンプ場でキャンプも楽しめ、千疋いちご農園でいちご狩りも楽しめ、ただの越谷と吉川の通過点で何も無い場所と思っていた僕も、住んでみたい魅力的な町になってます!
調節池の公園と住宅地の間に、昔の民家が保存されているということで行ってきました。さらに、昔と今の比較を楽しめそうです!
さて、日も暮れたしイオンモールを見学して駅に戻りましょう。
実はこの日、浦和にて見沼代用水や見沼通船堀などを散策したついでに訪問しました。
まあ、そんな僕の事情は関係なく。
次は隣駅の吉川市と三郷市を描いていきます。というわけで、レイクタウンの美しい夜景をお楽しみください。そして次の吉川の昼間で天気が良い景色を楽しんでいただければ幸いです。
吉川へ、鯰を求めて
越谷レイクタウンから隣駅、吉川駅へ降り立つ。
吉川市というと、何が有名でしょうか。
僕の中ではやはり、まずは鯰。そしてプロレスラーの佐々木健介かな。
健介・北斗晶夫妻が住んでいるのと同時に、道場もこのあたりだったと思うけど。
僕は新日本プロレスを観て育ってきましたが、闘魂三銃士特に武藤敬司の大ファンでしたので、健介はどうしても脇役的存在でした。
彼自身も何とか頭角を現すためいろいろ努力してきたと思いますが、それ以上に何だか悪い噂も聞くものです。
蝶野正洋のようなヒールは実は常識人で礼節をわきまえ気配りも行き届く人でさすがN.W.O.など一世を風靡したプロデュースできた人。
武藤敬司のような天才で試合を芸術的に磨き上げ、プロレス界にこの人ありとレジェンドとして歴史に名を刻む人。
橋本真也のようなプライベートまで破天荒で猪突猛進、一人の武士として生涯をいちプロレスラーのドラマにした人。
佐々木健介… テレビでは好々爺の如く北斗晶とオシドリ夫婦のようなタレントとしてPRされてきましたが。その反面に「やりすぎなほどのシゴキ」「練習の時に若手が死亡した事件の原因説」など良からぬ話や、現に彼と共演したり彼について話すことすら拒むレスラーが多いようで。
ただ、そんな環境の中で不器用に演じてきた結果なのかもしれず、そんな僕も闘魂三銃士のような才能はないし、ややもすれば健介みたいな塩っぽさしかない人間かもしれず。
とまあ、そういう意味で吉川にて、僕の人生の成分の1つだったプロレス鑑賞の由縁で、佐々木健介の面影を追うことは致しません。
ひたすら、鯰を追いかけることにします!
駅に降り立ち、駅前の様子を眺め見ると、さっそく鯰のオブジェがコンニチワしてます!
で、吉川市の郷土博物館に行きたいところですが、あいにくの月曜日。というか、吉川市は土曜日しか開いてないということで、ひたすら町の散策につとめます。駅前には吉川市の御土産を並べているラッピーランド。やはりここでも鯰の存在感が強い。
鯰煎餅、鯰最中、鯰饅頭…
特に気になるのがナマズ・コーラ!(下の画像の窓の方に存在しています)
興味惹かれますが、予め勉強してまして、どうやら「ナマズエキスは入ってます、というかナマズ丸々一匹を粉末にして溶かしてます、しかしナマズの味がしない甘いコーラです、効能は滋養強壮に良いようです」らしく。
なので、鯰の発見と鯰料理を目的としている僕としては、お金と気持ちの節約のため買いません。
一意専心、無二念に鯰を求めるため、近くのレンタサイクルを利用します。
目的地を検索、まず閉まっているだろう郷土博物館。鯰の痕跡があるのか。
そして鯰の養殖場。鯰が見れるかどうか。
あと、期待はしないが「なまずの里公園」。名ばかりだろうが、ひょっとして!?
あと、鯰料理屋を探し、ここをメインとする。さあ、ナマズ号、GO! GOGO!!
巡るだに、吉川がどんなところか見えてきます。
僕が現在住む西武の武蔵野台地と全く違う、遥か東に位置し、中川と江戸川にはさまれた広大な平野部。
南部は東京の江戸川区のデルタ、そのちょい北は以前歩いた東京の葛飾区の亀有の葛西用水。この延長にある同じ水の町、いやより広大な田園地帯。
かつ利根川と江戸川が分岐する関宿は東北からの物資を船で輸送する江戸時代では船の主要な道。その近くで発達した吉川。
つまり、米と舟運で繁盛しただろう吉川。その名残もあり、このひたすら一面に見える水田と川から張り巡らされた用水路の景色なのです。
そりゃ、米からできる煎餅に、饅頭など御菓子に鯰もうまかろう!
さあ、見えてきました、郷土資料館! どこをどう見ても閉館です!!
鯰の痕跡もありません!
ただ、見られたのがカスリーン台風の爪痕の屋外展示。
この東武地区の資料館などでもよく見られるカスリーン台風の爪痕ですが、いかに大惨事だったのかがここでも感じられますね。
想定通りなので、次の目的地へナマズ号GO! googleマップで探した鯰養殖場を目指します。
しかし、工事で通行止め。ひたすら吹きっさらしの強風の中、凸凹の畦道の上を自転車こいで来ましたので、ついつい迂回をしながらしぶとく鯰様の御尊顔を求めました。マップの目的地に来て、養殖場らしき建物の外から眺め見ようとしたら、不審者と思われたのか「そこは立ち入り禁止だよ!」と叱られてしまい。さらに裏側に回り込み、辛うじて撮ったのが二枚上の写真です。
そして、そこからさらに数十分自転車を漕いで辿り着いた「なまず公園」。
案の定、鯰一匹いらっしゃいません。
心身ともにヘトヘトになり、買い物しようと決めていたスーパーマルサンでたまたま見つけた回転寿司屋で、鯰が食べれなかった時に備えてちょっと寿司でもつまもうかと立ち寄った入口に、「ナマズ様」がいらっしゃいました!
僕「なまず、撮っていいですか!?」店員「!?(何こいつマジウケる不審者か?)いいですよ~♪」
さて、できたら鯰を食べようと、懐を満たして鯰料理屋を探す。
駅に戻り、そこからさらに反対方向の駅の外れ(越谷との境界である中川の傍)に向かうと、ちょうど下校時間か小学校からたくさんのチビッ子たちが、ピヨピヨピヨピヨと群がってきました。
その群れの奥(小学校近く)に、鯰料理屋を発見!
ますや、福寿家、糀家、ことごとく閉まっていたのは曜日や時間帯の誤りでしょうか。まあ、いつかきっと食べてやるという捨て台詞を残して割と多くの時間を見て回ったことに満足しレンタサイクルを返しに行きます。
うぇ~い!!みんな! Hoだyoooo!!
フォー―――――ッ!だHoooooo!!(保の住民のみなさますいませんでした)
三郷のソラマメタウン
吉川を去り、そのまま(この日は帰宅せず)三郷市へ向かいます。
間にある吉川美南駅。こんな駅ってあったっけ? と調べたら、越谷レイクタウンの4年後の2012年に開業した駅だそうで。
もともと国鉄が作った日本最大の操車場「武蔵野操車場」があり、1985年あたりの国鉄の経営悪化により廃止。
で、1985年に武蔵野線は人口増加のために吉川駅-三郷駅の間に新駅「新三郷駅」をここにつくろうとしたが、武蔵野操車場の跡地を残したため、
こうなりました。
なので1999年にはホームも移設されましたが、この武蔵野操車場跡はそのまま放置されてしまう。
で、2006年にショッピングセンター建設で話がまとまる。もうここ最近は、「土地が余ったらどうするか→ショッピングセンターだと繁盛するぜFooo!!」なのでしょうかね。
なんやかんやで、新三郷は三井不動産が落札、ららぽーと新三郷・コストコ・IKEAが集まり「新三郷ららシティ」へ。
駅からららぽーとに行きましょう。ららら~♪ ってららぽーとに行っても何もすることない陰キャの僕ですが。
ラララ…
今更ですが、三郷は埼玉県の最南東部にあり、東は千葉の流山市、南は東京都の葛飾区で金町・柴又(中川の西に亀有)と続く、南北に細長い町。
もとは早稲田村(早稲をつくっていたのだろう)と彦成村と東和村が合併し「三郷」となった。
交通手段は武蔵野線の新三郷駅と三郷駅のほか、南にはつくばエキスプレス開通により「三郷中央駅」ができ、都市郊外のベッドタウンとして開発が進んでいるのだろう。イオンモール周辺を見ても、まだまだ開発中の雰囲気が見えてくる。
以前僕は三郷中央駅から「三郷郷土資料館」を訪問した。撮影NGのため、画像は一切無いのだが三郷の農具の展示や農家のミニチュア、そして武蔵野線とつくばエキスプレスの存在とニュータウン化の展示が見られたのを数年前なので朧気に覚えている。
県境を超える!
この日(吉川市訪問の日)は、電車内にて江戸川を超えて隣の南流山駅に移動しました。そしてまた戻り撮影し直し(不審者でしょうけど窓にスマホを張り付けて撮影する)、これくらいの写真を撮って西武方面に帰宅しました。
別日に(秩父夜祭を見て熊谷で宿泊し北越谷と越ケ谷宿を訪問した日)、三郷駅から江戸川を、橋で歩いて渡り、南流山駅に到着することで、この記事を終わらせることにしました。
駅前徒歩数分で流山橋。ここを越えると千葉県に突入です!
さあ、胃wo意を決して、流山橋を渡ります!千葉が俺を呼んでいるぜ!
さて、しばらく暗闇とトイレが無い怖さと戦いながら、なんやかんやで南流山駅に到着しました。
武蔵野線とつくばエキスプレス(三郷中央駅の次)が通り、10分ほど歩くと超ローカル線の「流鉄流山線」(流山名物みりんで発展した鉄道)やキッコーマンの工場、新撰組の近藤勇が包囲され捕まり板橋で斬首されたきっかけの流山陣屋跡や万華鏡博物館がある流山駅につながる「鰭ヶ崎」駅があります。ぜひ、「くるくる、くるり」でお願いしゃぁす!!
武蔵野線の旅、武蔵野線の終点である西船橋はそのままスルーしてしまい、京葉線で直通、東京駅まで行ってしまいました。
みなさまも、ちょっと埼玉の駅に立ち寄って、埼玉を愛でてくれれば幸いです。
次回は、関東の国府国分寺を巡った旅をまとめるか。
関東のモノレールを巡る旅にするか。ネタはたくさんあるんや!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?