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フォトジェニックじゃない中国山地の山の何を撮る?

僕は中国山地周辺に巣食っているのだが、まあ中国山地なるものは所謂フォトジェニックではないのである。

そもそも中国山地と言ったら「中国(中華人民共和国)の山?」と聞かれた時は腰を抜かした。

中国山地はJAPANの中国地方を東西に走る背骨みたいなもので、山陰と山陽を分けるのである。

中国山地については以前も書いたが、明治時代までは資源大国であった。

当時のエネルギーの大部分は「太陽」であり、太陽エネルギーで生まれた木々を炭にして煮炊きをし、薪で暖を取り、山を削り木を燃やすことで鉄を得ていた。

中国山地は鉄生産に必要な花崗岩質の山々が多いため、たたら製鉄で有名だ。なんでももののけ姫の舞台のモデルでもあるらしい。


そんな中国山地、まあこれといったパンチの効いた景色は撮れない。

パンチの効いた景色=THE山岳写真である。

前回の記事でも書いたが、風景写真はその場にいることが条件である。

というのも、例えば厳冬期の槍ヶ岳なんかを撮れば、それはすなわち山岳写真として「真っ当」であり、そしてその写真の背後には重い機材を担ぎ、命をかけてたどり着いたという労力と時間が背後霊のように佇んでいる。

風景写真とは、その場所で、そのタイミングでなければならず、そして例えば発生確率の低い自然現象なんか起これば更に良しとなる。

要するに、風景写真にはセオリーという名の正解がある。

山はこう、滝はこう、夕日はこう、鉄道はこう、夜景はこう、天の川はこう・・・すべての景観に記号があり、それにできるだけ近づける行動力と技術力が必要となるのである。

正解があり、それに近づけるために、よりハイスペックかつ軽量な機材が必要であり、カメラ産業と相性が良いのは言うまでもない。

このように風景写真にはある程度の正解がある。

写真を趣味としない人でも、「富士山の写真」にはある範囲のユング的なイメージを共有しているのだ。


そこで中国山地ですよ。

中国山地最高峰は鳥取県の大山、標高1729m。

そう、そこに広がるのは森林限界に達していない低山である。もちろん独立峰である大山は美しい、しかし日本アルプスのような荘厳な岩稜はなく、地球の胎動の痕跡のような激しい大地のエネルギーに乏しい。

それは単純に中国山地が古いからだ。ほとんどの中国山地は準平原であり、若い日本アルプスの岩稜帯とは違って柔らかい見た目の山嶺である。

さらにプレートテクトニクス的な大地のせめぎあいにより誕生したわけではなく、大陸からぶち抜かれたり、いくつかの火山があるくらい。

そのおかげで地震は少ないし、温泉は多いので甲乙つけがたいけど。


結局、中国山地の山は登山中99%が鬱陶しい樹林帯であり、やっと頂上にたどり着いても展望0、手入れされているところでも展望といえば同じような緑の低山の連なりがあるだけなのだ。

もちろん山小屋やテント場などないし、基本日帰り。


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それでは何を撮るのか?

それは木である。

そして花や昆虫や野鳥、要は日本アルプス登山者が登山口までのバス移動ですっ飛ばしている日本の森の美しさを撮るのである。

中国山地の最奥には日本でも希少なブナの原生林が残されており、自然の豊かさが保たれている。

ブナの育む森は生態系が豊かで、人間が自然を支配する以前の日本の原風景ともいえる。

我々のご先祖様は、ブナの原生林の中で獲物を追い、木の実を集め、鮭を獲って暮らしていたのだ。

故に現在でもアプローチが大変な中国山地の最奥で、土器や埋葬遺構などの縄文時代の人間の暮らしの痕跡が見つかっている。

ブナの森を歩くとなんともいえない居心地の良さを感じるのはこれに違いない!

人間本来の求める環境こそブナの森なのだ!

そのブナを撮る、これ以上の贅沢があるのだろうか?

ブナの巨木一本で数え切れないくらいの命を紡いでいる。

山に水を蓄え、葉や実で生物を養い、枯れては鳥の巣になる。

その恵みはいろいろなわかりにくい形で我々人間の生活を支えてくれている。

そう思いながらブナの木を撮ると、何度も何度も訪れたくなってしまう。

それが中国山地のフォトジェニックなところなのである。


そんな中国山地のブナの原生林を撮ってきました。

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鉄人
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