読みたい本を語る②~エッセイ・伝記編:2021/12/26
今回の記事は読みたいエッセイと伝記について。
今までは小説ばかりを取り上げてきた。今後は積極的にエッセイや伝記を取り上げていきたい。面白い小説を紹介できる人は多いが、面白いエッセイや伝記を紹介できる人は少ないからだ。傑作が眠っているのに、それを見逃してしまうのは勿体ない。
私自身、エッセイや伝記というジャンルに詳しいわけではない。自分自身で学びながら、面白いものを皆さんにもご紹介できれば、と思う。
読みたいエッセイ
まず読みたいのは科学者のエッセイである。過去にも岡潔や寺田寅彦を読んできた分、個人的には親しみやすい。
これからは湯川秀樹や朝永振一郎のエッセイを読んでいきたいと思う。特に、朝永振一郎の著作はみすず書房にて数多く出版されている。それだけ読むものがある、ということである。読むのが楽しみだ。
あとは個人として読みたい作家がいる程度だろうか。須賀敦子(イタリア文学者)や伊丹十三(映画監督)、吉田健一(文学者)、内田百閒(文学者)のエッセイを読み続けていくことになるだろう。
読みたい随筆家のエッセイを読む。そういう読み方はたしかに健全であろう。健全である気はするが、新しい随筆家を探すのに難儀する。ジャンルを設け、その中から優れた随筆家や随筆を探す方がよほど楽だ。例えば、科学者や文学者というジャンルを設けて、その中から探す方法があり得る。こうした楽をしないとすれば、偶然の出会いに頼るほかないだろう。
海外の随筆家を知らない私は、まだまだ不勉強である。
読みたい伝記
ここ最近で熱中しているのは、伝記を読むことである。自伝・評伝を問わず、取り上げられている人物のバイタリティを直接的に感じられるので、つい夢中になってしまう。
特に面白かったのは、エドワード・フレンケル『数学の大統一に挑む』だ。本書は数学者の自伝なのだが、とにかく面白い。取り組んできた数学の内容が面白いというのもある。
しかしそれ以上に驚嘆したのは、著者のバイタリティである。著者は数学者でありながら、映画監督もやっていたらしい。『愛と数学の儀式』という映画の話は面白かった。三島由紀夫『憂国』のオマージュとして撮影された点も興味深い。
また、小学生では知らないような人物の伝記を読むのも面白いかもしれない。マックス・ウェーバーやバスター・キートン、島尾ミホ(島尾敏雄の妻)を知っている小学生は日本にどれだけいるのだろうか。少なくとも小学生が読むような伝記には決して取り上げられないであろう人物である。そういうものを読むのも楽しいのかもしれない。