読了ツイート集:2023年2月+編
01.小川哲『地図と拳』(1月23日)
舞台は満州の小村・李家鎮。膨大で困難な仕事の末に記されたであろう、信用しきれない地図の上に、欲望や意思を反映した都市が築かれては、拳により破壊される。容赦なく変化する現実と曲げられない虚構の間で、人生を頼りない地図や拳に賭ける人々の姿は、たくましく儚い。
02.S.B. ディヴィヤ『マシンフッド宣言』(1月25日)
舞台は21世紀末、弱いAIにより大半の仕事は奪われ、人類は能力を向上する薬剤(ピル)を摂取することで、専門的な仕事か安価な労働に従事していた。そんな中、ピル開発の資本家を暗殺した謎の犯人は、機械知性の権利とピルの使用禁止を訴える声明を出す。
03.伊藤計劃『ハーモニー』(2月9日)
人々の健康を管理する生府とWatchMeというデバイスのおかげで、あらゆる苦痛や傷病を取り除けるようになった未来の話。しかし、自分の健康(身体)を自身の裁量で管理したいという意志を持て余すことになる。では意志を無くしたらどうなるか。幸福はあり得るだろうか。
04.閻連科『太陽が死んだ日』(2月10日)
今年の麦は豊作だったので皆刈り入れに忙しかったのか農作業の最中に寝てしまう者もいたかと思えば夢遊のように寝床から突然起き農作業を再開する者もいた。「革命とは一年中止むことのない竜巻のようなものだ。」人々の顔色は黄昏前の燃え尽きた夕日に似ていた。
05.千早茜『あとかた』(2月11日)
連作短編集。やわらかく繊細でありながらも、対象との距離感をおもわせるドライな筆致で、蝉のぬけがらのような現代人の恋愛模様を描いていく。火葬された男のなきがらも、女のなみだも、すべて”静謐な情景”となり、そこには音がない。雨の音に慰められたいときに読む一冊。
06.ハクスリー『すばらしい新世界』(2月14日)
暴力と汚穢は排除され、能力的階級が異なる層とは関わらずに済み、T型フォード車のように人間が大量生産され、60歳で安楽死できる、面倒ではない管理社会。本作はディストピア小説だと認識されているが、この世界をユートピアだと捉える人も少なくないだろう。
07.ニー・ヴォ『塩と運命の皇后』(2月21日)
収録された2編について、どちらも中編小説でありながら、”長大で陰惨な歴史”という奥行きを感じさせる幻想小説として仕上がっている。『不思議な国のアリス』のような世界の美しい廃墟を、静かな湖で小舟を漕ぎながら眺めたいという人に薦めたい小説だった。
08.S・モレノ=ガルシア『メキシカン・ゴシック』(2月23日)
英国資本により開発されたメキシコの銀山町に佇む、霧を纏った洋館が舞台となるゴシック・ホラー。調度品のきめ細やかなデッサンと粘着質で濃厚な洋館の情景描写には、幻想小説に近い趣を感じる。静謐な筆致でありホラーが苦手な人でも読みやすい。
09.町田康『宿屋めぐり』(3月1日)
「あかんではないか」並にパンチの効いた諧謔が600ページにもわたって展開されるハードな大長編。鋤名彦名という主人公は、大権現へ太刀を奉納するために、目まぐるしく荒唐無稽な宿屋巡りをしていくのだが、その間、読者はめくるめく笑い地獄を駆け巡ることになる。
10.ケン・リュウ編『折りたたみ北京』(3月2日)
現代中国SFアンソロジー。科学技術は管理社会の実装に利用され、経済格差は果てしなく広がり、登場人物は風通しの悪い鉄の城に住んでいたとしても、作品内の中華料理は温かい。私が失った心の灯のようなものが、作品の奥にまだ残っているのかもしれない。
11.カズオ・イシグロ『クララとお日さま』(3月4日)
ChatGPTが登場したことによって捉え方が変わった作品。以前は「向上処置」を施された病弱な少女・ジョジーに共感を寄せ、クララにはそこまでリアリティを感じていなかった。しかし、ChatGPT登場後は、クララがものすごくリアルな存在として感じられる。
超知能(例:人間よりも優れた人工知能)が既にあるという状況で、知能を強化した子ども(デザイナーベビー)は求められるのか? ということが、最近の疑問になっている。この作品とは関係しない論点であるが。
12.ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』(3月8日)
永劫回帰は最大の重荷であるとニーチェは云う。ならばその一回転にあたる人生は軽い代物だということになる。と、WWIIやプラハの春の犠牲者に説くことはできまい。やるせなさが漂う時代背景の中で、トマーシュの奔放な恋愛も虚無感を纏っていく。
トマーシュの虚無感を帯びた恋愛譚からは、ある種の美的な理想=俗悪なもの(キッチュ)が丁寧に取り除かれているように感じる。理想も既成概念も及ばない場所で、人生の一回性をあるがままに生きているように思うのだ。それが在り方としてのレジスタンスのようにも見えてくる。