デカルトとヨーロッパ近代
Gakkoで取り上げる一人目の人物はデカルトです。近世の哲学を語るうえで欠かせない人物ですが、なぜ有名なのでしょう。その理由について、これからの記事の連載で面白い色々なエピソードもまじえて紹介したいと思います。
※2025/1/17 読みやすいように内容を修正しました。
デカルトとは
数学者・自然科学者・哲学者
ルネ・デカルト(1596-1650)はヨーロッパ近世哲学の父と呼ばれています。
しかし意外なことに彼はまずは第一級の数学者でもありました。
そして、その次には自然科学史上、重要な学者であり、そして、最後に、形而上学という哲学の基本概念を扱う分野で画期的な考えを生み出しました。
数学者としての功績というのは、幾何学と代数学とを統合したことです。現在、中学校から私たちが習うxyの座標というのは、デカルト座標と呼ばれ、もともとは彼の発想でした。
自然科学者としてのデカルトは、物理学の基本原理である〈慣性の法則〉を、現在私たちが理解している内容に近い形に整えました。デカルト以前の時代には、物体は外部から力が加えられないとき、「静止する」か「円運動をする」と考えられていました。特に天体が円を描いて動いているように見えることから、古代ギリシャの哲学者アリストテレスらは、力が加わらない場合には物体は円運動を続けるのが自然だと信じていたのです。
これに対し、デカルトは「物体は外部から力が加わらない限り、等速で直線的に動き続ける」という考えを主張しました。これが現在でいう「等速直線運動」の概念です。円運動を自然とする考え方は、天体の見かけの運動からきた誤解に過ぎないとデカルトは見抜き、物体の運動を直線的なものとして説明したのです。この新しい視点は、その後の物理学における重要な基盤となりました。
二元論は文系・理系の起源か?
哲学者としては、プラトンやアリストテレスといった古代ギリシャ哲学以来の考え方を変えて、自然や、物質についての考え方を近代化しました。さらには、人間は身体的な部分と精神的な部分といった二つのまったく異なった要素から成っていると考えました。これをデカルトの二元論といいます。
英語のbody(フランス語ではcorps)という単語は、人間の身体を意味すると同時に、場合によっては、「物体」を指します。生きた人間の身体と血の通わない単なる物体と、「物質」として同じだという発想です。
それまでは自然の世界は、命が宿る生き生きとした生命の世界だと考えられていました。古代ギリシャでも古代中国や古代インドでも同じです。特に古代ギリシャでは「命」ということと「魂」ということとは、同じなのです。「魂」と言うことと「心」、ないしは「心理」とは、ごく近い現象です。そうなると心と物質の区別がつかなくなるのです。
デカルトは、このように区別が曖昧だった世界観に、新しい視点を持ち込みました。つまり、心と物質を明確に分け、それぞれ独立したものとして考えたのです。この考え方が後に、学問の分野においても影響を及ぼしました。心に関わる分野が「文系」と呼ばれるようになり、物質を対象とする分野が「理系」として区別される基盤を作ったのです。
文系、理系といった区別は、人間の精神活動が生み出した領域の研究が「文系」の学問で、単に物質的な自然現象を研究するのが「理系」の学問だ、といえば、そんなに間違えではない気がします。
デカルトがいたから、文系の学問と理系の学問とが、明確に分かれたとも言えます。そう考えるとすごいですね。影響力が!
哲学の始まりと「形而上学」
「形而上学」という哲学の分野は、一般には、なじみがない分野ですが、もともとは古代ギリシャの哲学者アリストテレスの著作を編纂する際に使用された学問分野の名称です。
著作の編纂の際に、特定のテーマを扱ったものではなく、一般的に、存在とはなにか、本質とは何か、可能性とはどういうことか、必然性とはどういうことか、などという抽象度の高いテーマをあつかった著作をひとまとまりにし、自然(nature、ギリシャ語ではphysis)についての学、つまり〈自然学〉の次の巻という意味で使った用語でした。
つまり、「自然学(physics)の後の学」ということで、meta(何々の後)とphysis(自然)を併せて〈メタピュシス〉と名付けたのが始まりです。
漢字の表記の趣旨は、推測するに次のような意味なのでしょう。
形ある自然世界を具体的に研究する「自然学」、ないしは現代では「物理学」(Physics)に対して、形ある自然世界を超えて、抽象的で、普遍的な概念の研究をする哲学分野という意味で〈形而上学〉という名称を使用したのでしょう。
形而上学のもっとも基本的な問いは、〈本当の意味で存在するとはいったいどういうことなのだろう〉という問いであるといってよいでしょう。「存在する」ものと言っても、目の前にあって見るだけではなく、手で触って感触を得れば、存在しているに決まっていると考えます。
しかし、古代の哲学者プラトンは、すべてのものには、その原型となる「イデア」があると考えました。動物や植物は、同じものから同じものが生まれてきます。人工物も作る人の頭の中には、同じものを作るときには同じ「アイデア」があります。現代のことばである「アイデア」(idea)は、人間の頭の中にありますが、その語源となったギリシャ語のイデアーは、プラトンに言わせると現実のこの世界を超えた「別世界」にあると考えました。その世界では、存在はずっと消えることがない、永遠の存在の世界だということになっています。そんな世界が存在するなんて信じがたいのですが、古代の人でさえそう信じた人は希だったのではないでしょうか。
いずれにしても、プラトンは、あるいはプラトンの著作の主人公でプラトンの先生であるソクラテスは、そう信じて、人々をたぶらかす文人として死刑を宣告されて死んでいきました。
話を戻すと、プラトンは、イデアの世界こそ真の意味で存在する世界だと言うし、アリストテレスは、自分の先生であるプラトンの説を否定して、真に存在するものは、一つひとつの個別的で具体的な事物だと言いました。全く正反対の立場です。
神の存在
もう一つ、考えなければいけないのは、ヨーロッパ社会ではユダヤ教とキリスト教の教えの力です。旧約聖書の「出エジプト記」には、モーゼに神は、「我は有りて有るもの」と言ったとあります。つまり、神とは存在そのもの(ipsum esse)なのです。万物の創造主とは、ありとあらゆる事物を存在させるようにする主体だということでしょう。万物を「存在させるようにする」主体自身は、存在そのものでなければなりません。
そうなると、根本的に〈存在〉という形而上学でも究極的には、存在と神の問題が一番重要な問題となります。
実は、神に関する問題は、古代からありましたが、特に中世になり、ヨーロッパ各地にキリスト教が伝播し、重要な問題になりました。
よく考えてみるとデカルトが哲学の第一原理とした「我思う、故に我あり」と言えば、それで哲学の確固とした基礎は築けたということになるのですが、それに神はどう関わるのでしょうか。それこそが形而上学の問題でした。
神が(モーゼに)「我は有りて有るもの」といったとされています。
デカルトは、「我思う、故に我あり」と述べています。
デカルトの「我」とは、まさにデカルト自身でもあるし、現実の人間一人ひとりがそれに匹敵します。「思う」(コギト)とは、cogitatio、ないしはcognitio[認知]といったことで、神は存在するのに、わざわざ「考える」必要はありませんが、人間の場合は、意識がなくて、無意識の状態であったり、死んでしまったりしたら、それこそ「我あり」とは言えません。
それにもかかわらず、哲学の原理として「真に存在するものとして私(ego)は存在する」と人間に言わせ、ユダヤ・キリスト教では、それを神に言わせているのです。
一言で言えば、近世の哲学は、近世主体主義、ないしは近世主観主義がその背骨を作っていて、デカルトのコギト(cogito)、そしてドイツ哲学では、カントの「私は考える」(Ich denke)がすべての学的認識にとっての最高の統一原理であるということになっているのです。
つまり、神の役割を人間一人ひとりの個人が担うことになったとも言えます。「不遜だ」ともいえるし、「これこそ人間の尊厳性のあらわれだ」とも言えます。
このように、ヨーロッパの近世では、人間自身の捉え方がガラッと変わりました。人間が世界の中心になったとも言えます。こう言うと、人間社会においてはいつの時代でも、人間が中心だろうし、もし宗教的世界観で言えば、古代でも中世でも、近世以降でも人々の心の中には「神」がいて、世界の中心として位置づけられているとも言えます。
とはいえ、ヨーロッパの歴史では、ルネッサンスを経て社会や経済システムが変わり、哲学の分野でも世界について、宇宙について、さらには人間について、考え方が大きく変わりました。「世界」といっても、ヨーロッパ、とくに西ヨーロッパに過ぎないのでしょうが、ニュートン力学や微分・積分といった解析学の発明によって近代科学が発展したヨーロッパにあって、その基盤となったヨーロッパ哲学とは、どのような理論なのかを観ておく必要があります。
さて、上記のように近世のヨーロッパ哲学では、主体として再登場した人間そのものに関する考え方が大きく変わりました。
地震は神の仕業か?
近世の世界観、人間観の特徴に、つぎのような原理があります。
精神的な世界と物質的な世界とが明確に区別がなされる。文系と理系の二元論です。
物質的な自然世界が精神的世界から独立した。思想や宗教といった文系のややこしさから、理系の自然研究は解放された。
後者のことはずいぶん意外なことだと感じる方もいると思います。つまり、デカルトは、近代哲学の父と言われるくらいなのだから、文系の学問の興隆に尽くしたのではないか、と思われますが、逆に文系、理系は別々だといったことにより、理系が思想や宗教から自由になり、特に物理学や天文学、生物学、化学、生物学などが発展していったということなのです。
自然科学が宗教によって自由に研究できなかった有名な例は、ガリレオの裁判があります。
自然科学の研究が宗教的権威から解放されるようになったという動きにデカルトが関わったということは、面白いことです。デカルト自体も自然科学的研究においては、宗教的な権威から「異端」ではないか、つまりキリスト教の教義に反するのではないかという嫌疑をかけられています。
「近代哲学」という精神活動の新しい動きの始動と、自然的世界が精神世界から分離していくという動きが、実は同じ事を意味したのです。当然のことと言えばそれまでですが。
哲学の分野では、人間の自己認識が変わったということと、自然認識の場面では「因果関係」についての認識が変わったということなのです。
簡単に言うと、因果関係とは、原因と結果の関係ですが、近代以前において、原因には「目的」という概念が含まれていたため、自然認識においても「目的」という概念が含まれていました。
近代の自然認識においては、「目的」という概念は登場しません。台風や自然災害の「目的」や「倫理的善悪」を問題とすることはありません。少なくとも、学問的な場面や公的な議論、報道においてはそのようなことに言及することはありません。
例えば、1755年にポルトガルのリスボンを襲った大地震について、当時でもそのような大災害は神の仕業であるという迷信が流布していて、擬人化された事象のように地震の発生には何らかの目的が存在していると考えられていました。それに対して、当時若かった哲学者カントは、論文を三本も書いて、地震は単に自然現象であり、地下での何らかの化学反応であると力説しました。
以上お話ししてきたような動きがなぜ、ヨーロッパで始まったか。その理由をデカルト哲学の中に探っていきたいと思っています。