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わたしのレッスンノート*観点*
・今回のおはなし
わたしの中心から〜
今ここを活きる。
アレクサンダー・テクニーク
(自分のつかい方)を
分かち合いたく、綴っています。
このタイミングで、
この本を読み返しています。
わたしには言葉がムツカシイ本ではありますが、訳者の片桐ユズルさんのことばをお借りすると…
人間は言語と非言語の世界に住む両生類です。にもかかわらず教育は言語の世界のみで行われてきました。またが身体のみを切り離して特殊な訓練をしたりします。これでは人間の潜在的可能性を実現することはできません。というわけでハクスリーは心身機能をひとつのものとして訓練するアレクサンダー・テクニークを中心にすえた全人間的な教育の見取り図を描きました。マインド・ボディ相関的な訓練をスピリチュアルな教育と地つづきなものとして見たこの論文は、「知ることと、さとること」とともに、ノンバーバルコミュニケーション教育の原典ともいえます。(訳者)
オルダス・ハクスリー著 片桐ユズル訳より引用
ユズルさんは
わたしのような“ふつうの人”にも分かる
“ことば”に噛み砕いて、伝えてこられたので、わたしもこうして、アレクサンダー・テクニークの世界のドアを叩いたと思います。
まさにアレクサンダー・テクニークは
言語と非言語の世界で、
先生は“手とことば”でお手伝いします。
“手”で伝えられないことは“ことば”で
“ことば”で伝えられないことは
“手”から伝えます。
切りハナされてしまった
こころとからだを繋いでいくともいえます。
世界との関わりを
アレクサンダー・テクニークを実践しながら
過ごせるように、分かち合う。
今のわたしのことばでは、
こう伝えられます。
アレクサンダー・テクニークが
“からだの使い方”でも“うんどう”とも
異なるのは、
刺激に対するいつもの反応(習慣)を
ちょっと待って。(抑制)
とちがう選択(方向性)をして、
プライマリー・コントロール(協調作用)から
対応していくということ。
こういった観点をもって
先生はどんなレッスンをしているのか
または世界をみていこうと思う。
2022/10/18/mayumi@kyoto
ひつようなひとにもとどきますように :)