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わたしのレッスンノート*文脈*

・今日のおはなし

わたしの中心から〜
今ここを活きる。

アレクサンダー・テクニーク
(自分のつかい方)を
分かち合いたく、綴っています。

今、通っている学校(アライアンス)のトレーニングクラスのフィードバックを
わたしの備忘録も兼ねて…φ(..)

わたしと相手との文脈は異なる

文脈とは
流れ・前後・状態・状況といったこと。

ここでいう“文脈”は
相手との背景(国籍・年齢・性別・言語・文化・習慣…)や経験、環境なども含まれます〜

“ことば”は抽象的な概念です。

“木”ということば一つとっても
それぞれの“イメージ”するものは異なります。

その相手との
イメージをうめるように
“ことば”を使って伝える。

みどりさん(先生)は

わたしと相手は
分からないことが前提にある

といいいました。

わたしは身近な相手になるほど
(例えば、パートナー)

おんなしような文脈を相手ももっていると
錯覚して、話し始めて〜

「誰が?何が?」

と聞き返されたり、
軽くスルーされてます。^^;


わたしたちは根っこでは繋がっていても
それぞれに文脈は異なっています。

分からないことが前提にあって
それでも“ことば”という
抽象的なものをツールとして
伝えようとしています。

デールの経験の円錐

直接体験で“分かち合う”のが何よりですが、

それでもエッセンスみたいなものが
少しでも伝わればという想いから使うんだなあ。

“ことば”を扱うのは苦手だけど、
抽象的なものは広がりもある。
(色んな含みをもっています)

不自由の中の自由〜


わたしは若い頃、自分の内にあるものを
あらわす“ことば”が見つからなくて

もっと“ことば”が沢山あればいいのに

と思ってたことがあるな。

でも、沢山あったからといって
伝わるわけでも
あらわせるわけでもないことが
だんだんと分かってきました。

それは、文脈が異なるからなんだなあ。


わたしと相手は
分からないことが前提にあって
それぞれの文脈があることを知ること。

“ことば”だけでは伝えられない

という事実が

“ことば”で伝えるのが苦手…
伝わらないし、あらわせないし…

というわたしを

自由にさせてくれた☆


2022/7/22,mayumi@kyoto

ひつようなひとにもとどきますように :)





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